Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

オーストリアの歴史08:1914.6.28サラエボ事件(第一次世界大戦勃発)

オーストリアの歴史を学ぶ。今回はサラエボ事件。最初に、クールにザックリまとめる。

1914年[US138] 6月28日オーストリア=ハンガリー二重帝国皇嗣夫妻がボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボでボスニア系セルビア人により暗殺された。

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オーストリアとセルビアの対立は遂に沸点に達してしまった。

暗殺者の思想的背景は反オーストリア革命運動すなわち青年ボスニア( Young Bosnia - Wikipedia) として知られるようになった。

オーストリアとしては、ボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチアにおけるセルビア人を中心とした帝国官吏に対する度重なる暗殺未遂事件を背景として、帝国皇嗣夫妻の暗殺という事態に「堪忍袋の緒が切れた」わけである。

しかし、これがオーストリア=ハンガリー二重帝国にとっては終わりの始まりであった。

第一次世界大戦による当該帝国の解体は、現代に至るまで禍根を残し、バルカン半島は不安定な状態が続いている。

同様に、現代の中東問題は、オスマン帝国の解体に端を発している。

第一世界大戦とは、オーストリア=ハンガリー二重帝国の解体とオスマン帝国の解体の一過程として起こるべくして起こった戦争という見方もできるのである。

 

文責:鵄士縦七