Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

【再掲】チャイナの歴史05:1915.12.12中華帝国の成立

【再掲にあたっての備忘録】ニッポンから対華21カ条要求を通告された袁世凱(Yuzan Shikai)だった(1915年[US139]1月18日)が、(残念ながら)悪評の高いニッポンの対華21カ条要求ですら、チャイナの指導者にとっては外患を収める1つの外交に過ぎなかった様だ。

1913年[US137]10月10日に大総統に就任した袁世凱は、国内の権力掌握を果たし、ニッポンを含む諸列強と一定の相互理解を確立し、約2年で「皇帝」となった。

Synmeは不勉強で知らないが、今までのチャイナの数多の帝国の興亡史の中で、「皇帝」を目指さなかった権力者はいたのだろうか?

少なくとも、大半の「チャイナの権力者は、やがて皇帝を目指す」という法則は覚えておいた方が良い。これは現代史でも繰り返されている。

 

チャイナの歴史を学ぶ。中華民国(Republic of China, “R.O.C.”)の共和革命は一筋縄には行かなかった、どころか一度は帝政に戻ってしまった様だ。今回は中華帝国の成立を学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。

1915年[US139]12月12日袁世凱は皇帝に即位し、中華帝国(〜1916年[US140]3月22日)が成立した。 

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第二革命(1913年[US137]7月〜8月)を鎮圧し、1913年[US137]10月10日袁世凱(Yuzan Shikai)が正式に大総統に就任した。

続けて、袁世凱は1913年[US137]11月4日に解散命令を出して国民党を解散させ、国会自体も解散させた。

そして、1915年[US139]12月12日袁世凱は中華帝国大皇帝に即位した、すなわち中華帝国(1915年[US139]12月12日〜1916年[US140]3月22日)が成立したのである。

しかし、中華帝国の成立は、第三革命(護国戦争、1915年[US139]12月25日〜1916年[US140]7月14日)の直接の引き金となる。

 

文責:鵄士縦七