Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

フランスの地政学01:1793-1797第一次対仏同盟

今回からフランスの地政学を学ぶ。事実上、Napoléon Bonaparteのフランスの地政学だけれども。Napoléonのフランスは周囲の国と20年近く戦争を続け、勝ち続けた。最後に敗北するまで...

早速フランスの地政学としての第一次対仏大同盟を学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。

1792年[US016]フランス革命政府がオーストリアに宣戦してフランス革命戦争勃発。1793年[US017]フランス第一共和政の打倒を目指す第一次対仏同盟が結成され、フランスは、イギリス、スペイン、オーストリア、南ネーデルラントプロイセンサルディーニャナポリの7ヶ国連合軍と戦うこととなった。徴兵制を布いたフランスは攻勢に転じ、1795年[US019]バーゼルの和約によりプロイセンと講和し、ラインラントを併合。同年第二次バーゼルの和約によりスペインと講和し、サントドミンゴを割譲。1797年[US021]カンポ・フォルミオの和約によりオーストリアと講和し、ネーデルラントロンバルディア地中海のコルフ島アドリア海の島々を割譲。第一次対仏大同盟は崩壊し、交戦国はイギリスだけとなった。 

f:id:synme:20170925003634j:plain フランス革命は1789年[US013]7月14日のバスティーユ襲撃に端を発し、1792年[US016]9月21日に国民公会によってブルボン王政の廃止が宣言されLouis XVIは退位、フランス第一共和政(French First Republic)が始まった。

一方、一足早い1792年[US016]4月20日にオーストリアによる内政干渉に対してフランス革命政府が宣戦布告。フランス革命戦争(〜1802年[US026]3月25日)が勃発していた。

1793年[US017]1月21日にLouis XVIが処刑されるに及び、革命の波及を恐れたフランス周辺の王国は同盟を組んでフランス第一共和制の打倒を目指すことになる。

第一次対仏同盟(1793年[US017]〜1797年[US021]10月18日)の参加国は、イギリス、スペイン、オーストリア、南ネーデルラントオーストリアネーデルラント)、プロイセンサルディーニャナポリの7ヶ国だった。

フランス第一共和政は、当初、内憂外患を抱えて劣勢に立たされた。1793年[US017]3月18日ネールウィンデンの戦いでオーストリア、南ネーデルラント連合軍に敗れ、一時はその大半を占領した南ネーデルラントを失った。王党派の反乱もあり、トゥーロンでは市内の王党派がイギリスとスペインの艦隊を入港させるなどした。 

しかし、1793年8月23日に国民公会が徴兵制を布いて兵力を回復すると反攻に転じ、すべての同盟軍を国外に撤退させた。トゥーロン奪還(1793年[US017]9月18日〜12月18日)においてNapoléonが初めて名声を得た。

フランス第一共和政の攻勢は続いた。まず、1795年[US019]4月5日バーゼルの和約によりプロイセンと講和し、ラインラントを併合。同年5月には衛星国のバタヴィア共和国(〜1806年[US030])を建国した。次に、同年7月22日第二次バーゼルの和約によりスペインと講和し、サントドミンゴを割譲。最後に、1797年[US021]10月18日カンポ・フォルミオの和約によりオーストリアと講和し、南ネーデルラントロンバルディア、地中海のコルフ島、アドリア海の島々を割譲。

第一次対仏大同盟は崩壊。イギリスだけが交戦を続ける事態となった。 

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サントドミンゴはアメリカの地政学にも出てきた。イスパニョーラ島東部の植民都市。現在はドミニカ共和国の首都である。

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現在のイタリア共和国ロンバルディア州の州都はミラノである。  

 

文責:鵄士縦七

地政学を学ぶフレームワーク08

それではロシアの地政学を学ぶ意義は何だろう? 

ロシアはグレートゲームにおいてイギリスと対立し、中東とも深く関わってきた歴史を有し、冷戦においてアメリカと対立した大国である。冷戦終結の1つの大きな要因となったのもソ連アフガニスタン侵攻と泥沼化だった。

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18世紀から20世紀に掛けてのロシアは、南下政策を実現させるため、主にトルコ(オスマン帝国)と戦った。ロシアは、トルコに対して優位な立場を占めると、ザカフカースを抜けた先のイランに向かう。そして、イランに対して優位な立場を占めると、カスピ海の南岸をより東に進みアフガニスタンに向かう。

このトルコ、イラン、アフガニスタンという南下政策に対して、フランスやイギリス等が介入してくるので、ロシアはトルコやイランと何度も戦う必要が生じる。

イギリスとしては、ロシアのバルカン半島進出も阻止する必要がある一方で、アフガニスタンまでロシアが影響力を持つとイギリス領インドの権益を確保する必要も生じて来る。これが極東の動向も含みながら、英露間のグレート・ゲームを形成していく。

ロシアの地政学を学べば、イギリスの地政学の一定部分を反対側の視点からカバーできる。フランスの地政学を学び、ロシアの地政学を学び、東ヨーロッパ、中東地域、北ヨーロッパについて学習を済ませた上でイギリスの地政学を学ぶのが効率的だとSynmeは考えた。

ここで、高橋洋一氏の世界のニュースがわかる! 図解地政学入門を参照したい。同書は第2章でロシアの地政学を扱っている。高橋氏が挙げるロシアの主な戦争は以下の11個である(同書p.91-93)。[US歴]はSynmeが追記した。

  1. 1768年[bUS008] 第1次ロシア・トルコ戦争
  2. 1787年[US011] 第2次ロシア・トルコ戦争
  3. 1804年[US028] 第1次イラン・ロシア戦争
  4. 1812年[US036] モスクワ遠征(ナポレオン戦争
  5. 1826年[US050] 第2次イラン・ロシア戦争
  6. 1853年[US077] クリミア戦争
  7. 1856年[US080] アロー戦争
  8. 1877年[US101] 露土戦争
  9. 1904年[US128] 日露戦争
  10. 1914年[US138] 第一次世界大戦
  11. 1939年[US163] 第二次世界大戦 

アメリカは「条約」や「購入」など戦争以外の外交手法を巧く活用しながら領土を(ほぼ)常に拡張してきた(獲得し損ねたのはカナダくらいか?)。ロシアの地政学は対照的である。基本的に、戦争を唯一の手法として、「一歩進んで二歩下がる」的な領土拡張の歴史を有している。

アメリカとの違いという観点からもロシアの地政学を学ぶのは面白いとSynmeは考える。 

 

文責:鵄士縦七

 

世界のニュースがわかる! 図解地政学入門

世界のニュースがわかる! 図解地政学入門

 

地政学を学ぶフレームワーク07

Synmeは「いや〜ござったペリーさん」でお馴染みの1853年[US077]のペリー来航(黒船来航)を日本の現在の外交・軍事を考える上での起点と捉えている。

イギリスの地政学を学ぶ場合もこの時期のイギリスとヨーロッパの関係を起点として学びたい。アメリカの地政学でも、イギリスとヨーロッパの対立関係がアメリカに購入や条約締結による戦争以外の手段での領土拡大機会を提供していた。

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19世紀半ばのヨーロッパを規定しているのはウィーン体制だ。だからSynmeは、ウィーン体制ができるに至ったフランスの地政学を学んでおく必要があると考えた。

とはいえ、あくまでフランスの地政学の一部分を学ぶに過ぎない。具体的には、1789年[US013]7月14日のバスティーユ襲撃から1815年[US039]11月20日の第2次パリ条約締結ウィーン議定書締結までの26年超の期間に起こったフランス革命戦争(1792年[US016]4月20日〜1802年[US026]3月25日)、ナポレオン戦争(1803年[US027]5月16日〜1815年[US039]11月20日)、ウィーン会議(1814年[US038]9月1日〜1815年[US039]6月9日)などについて、以下の8回にわたって学ぶ予定。

  1. 1793年〜1797年 第一次対仏大同盟
  2. 1798年12月24日〜1801年 第二次対仏大同盟
  3. 1805年4月11日 - 1806年 第三次対仏大同盟
  4. 1806年10月6日〜1807年7月7日 第四次対仏大同盟
  5. 1809年4月9日〜1809年10月14日 第五次対仏大同盟
  6. 1812年〜1814年 第六次対仏大同盟
  7. 1814年9月1日〜1815年6月9日 ウィーン会議
  8. 1815年3月25日〜 第七次対仏大同盟

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市民革命とは、Wikipediaでは「封建的・絶対主義的国家体制を解体して、近代的市民社会をめざす革命」と定義され、コトバンクでは「ブルジョアジー (市民階級) が階級支配を確立する革命であり,市民階級の経済的基礎である近代産業資本を確立するための闘争。」と定義されている。

アメリカは1783年[US007]9月3日のパリ条約で革命戦争に勝利し、かつ、1797年[US021]ワシントンが大統領3選を辞退して共和制を保った。

一方、フランスは1792年[US016]9月21日にルイ16世を退位させ1793年[US017]1月21日にルイ16世をギロチンで処刑したが、1804年[US028]12月2日にNapoléon Bonaparteが皇帝に即位し共和制を保てなかった。 

市民革命成功後に共和制を保てたかどうかという意味でもフランスの地政学をアメリカの地政学と比較すると面白いとSynmeは思う。言い方を変えるなら、外国の干渉戦争が政治体制に与えたショックの大きさの違いでもある。

 

文責:鵄士縦七

 

地政学を学ぶフレームワーク06

イギリスの地政学を学ばなければいけない理由は中東問題に留まらない。

そもそもSynmeは地政学を学んでいるのは、日本のこれからの外交と軍事について、自分なりに考えられるようになりたいからだった。そして、クールにザックリ学ぶための工夫として、Synmeは「アメリカの時代」というフレームワークを仮定して戦争の歴史を学習している。

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加えて、Synmeは時代ごとの超大国との関係性を意識した視点で国際関係を観察するのが合理的であるとも考えていて、1941年のレンドリース法成立以降を超大国アメリカの時代とみなし、1600年のイギリス東インド会社設立以降1941年までを超大国イギリスの時代であったとみなしている。

独立宣言から冷戦終結までクールにザックリ学んできたアメリカの比較対象として最も適切であるという理由からも、イギリスの地政学は学んでおかなければならないと。秋田茂氏のイギリス帝国の歴史 (中公新書)p.19-22を引用する。

(中略)あらためて世界史における帝国の歴史を振り返るなかで、アメリカを中心に語られる現代世界の成り立ちを考察する必要があろう。

その際に、数多くの比較検討の素材を提供してくれるのが、イギリス帝国である。イギリス帝国は、近代世界において最大の帝国であり、世界の陸地の約4分の1を領土として支配した経験を持つ。

(中略)19世紀半ば以降のイギリスは、世界のヘゲモニー国家(派遣国家)になった。そのヘゲモニー国家としての地位を20世紀後半に引き継いで現在に至ったのが、アメリカ合衆国である。

秋田氏は、同書において、長期の18世紀(1688年[bUS088]名誉革命〜1815年[US039]11月20日ナポレオン戦争終結)、19世紀、20世紀の3つの時期に分けてイギリス帝国を考察している。

イギリスの地政学をしっかり学ぶことが日本のこれからの外交と軍事を考える上でとても重要なことは理解した。では、なぜすぐにイギリスの地政学を学ばないのか?フランスとロシアの地政学を学ぶ意義を考えたい。

 

文責:鵄士縦七

 

イギリス帝国の歴史 (中公新書)

イギリス帝国の歴史 (中公新書)

 

 

 

 

 

地政学を学ぶフレームワーク05

前回までアメリカの地政学として革命戦争から冷戦終了までを学んできた。次にどう学んで行くべきか、Synmeなりに色々と考えた。

その結果、Synmeは次回から以下のような順序で学んで行くことにした。

  1. フランスの地政学をごく一部だけ、かつ、数回分だけ学んで、
  2. ロシアの地政学をしっかり学び、
  3. イギリスの地政学を学んで、
  4. 中東地域でのアメリカの地政学を学ぶ

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なぜ、この順序で学ぶことにしたのか?

言うまでもないことだが、アメリカが唯一の超大国となった(1991年[US215]12月25日)後の現代史は2001年[US225]9月11日アメリカ同時多発テロ事件を起点として紡がれている。つまり、中東地域を学ばないと、2010年代・2020年代のアメリカの地政学はその基礎を欠くのだ。

中東問題と言えば、イギリスだ。イギリスの三枚舌外交について高橋洋一氏の世界のニュースがわかる! 図解地政学入門p164-171を参照すると、高橋氏は以下の様に書いている。

(中略)同盟国として参戦したオスマン帝国の解体では、現代にまで続く中東問題が芽生えてしまった。それを説明するには、第一次世界大戦中のイギリスの多重外交にまで遡らなくてはならない。

(中略)イギリスは、戦争を有利に進めるために、それぞれの利害関係者に異なる言質を与える「三枚舌外交」を行った。そして、今日まで続く中東問題の大本を作ってしまったのである。

具体的には、イギリスは以下のような外交を行った。

これらにより、クルド人問題とパレスチナ問題が生じたのだ。

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第一次大戦は連合国と同盟国によって争われた。同盟国の構成は、ドイツ帝国オーストリア・ハンガリー帝国オスマン帝国ブルガリア王国の4ヶ国であった。では、戦争に敗れた同盟国はどうなったか?

ブルガリア王国は、領土の割譲、賠償金の支払い、戦後軍備の制限などをヌイイ条約で取り決め講和した。ドイツ帝国も領土の割譲、(巨額ではあるが)賠償金の支払い、戦後軍備の制限等をヴェルサイユ条約で取り決め講和した。これらに対し、オーストリア・ハンガリー帝国オスマン帝国はそれぞれ1918年[US136]10月31日と1922年[US146]11月17日に皇帝が海外に亡命して滅亡した。

中東問題の根幹は、オスマン帝国の解体にあったのだ。

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オスマン帝国の最大領土について、こちらを参照して下さい。 

 

文責:鵄士縦七 

 

世界のニュースがわかる! 図解地政学入門

世界のニュースがわかる! 図解地政学入門

 

 

アメリカの地政学32

ひきつづき革命戦争から冷戦終結までのアメリカの地政学をクールにザックリ振り返ってみよう。続いて、海外領土拡大から冷戦に勝利するまで。

  • 領土拡大に起因する内部対立から内戦(南北戦争1861年[US085]〜1865年[US089])が起こるが、アメリカは多大な犠牲を払いながら国家の統一を保った。
  • 1867年[US091]、アメリカはロシアから720万ドルでアラスカを購入。
  • 拡大した本土領土内においても、19世紀末(例えば、ウンデット・ニーの虐殺は1890年[US114])を境にインディアンによる抵抗は終息。
  • 1898年[US122]米西戦争勃発。アメリカはスペインに勝利し、フィリピン、グアム島プエルトリコを獲得。キューバ保護国化。ハワイを併合。1914年[US138]第一次世界大戦勃発(〜1918年[US142])。アメリカはハイチ、ドミニカ共和国を征服した。
  • 1939年[US163]第二次世界大戦勃発(〜1945年[US169])。アメリカは1941年[US165]12月7日の真珠湾攻撃を機に参戦して連合国を勝利に導いた。
  • 【冷戦第一波】▲アメリカは封じ込め政策・欧州復興計画やNATO設立により欧州でソ連と対立。1950年[US174]アジアで朝鮮戦争が勃発。アメリカとチャイナの代理戦争となったが、北緯38度線は譲らなかった。1955年[US179]南北に分断されていたベトナムで内戦勃発。介入したアメリカが実質的に敗北した。1973年[US197]にパリ和平協定が調印されたが停戦合意は守られず、1975年[US199]北ベトナムによって南ベトナムは崩壊。▼アメリカは数多の軍事同盟を締結して西側陣営の拡充を図るも、ワルシャワ条約機構設立、ミサイル開発競争など東側陣営との対立は激化。
  • 【冷戦第二波】▲U-2撃墜事件(1960年[US184]を機にアメリカとソ連との対立が表面化。ベルリン危機は外交で回避したが、キューバ危機(1962年[US186])を招く。▼核戦争の危機は回避され、アメリカはベトナム戦争の停戦(1973年[US197])を達成。
  • 【冷戦第三波】▲しかし、アメリカは内政で混乱し、各国の共産化を止められずイランまで反米に転じ、ソ連のアフガン侵攻(1979年[US203])を招く。▼ ところが、アフガン侵攻が泥沼化してソ連が苦境に。アメリカは更なる軍拡競争を仕掛けて、ソ連をギブアップさせた。ソ連は1991年[US215]に崩壊。アメリカが冷戦に勝利した。

つまり、革命戦争からアメリカ本土の領土拡大完了までに加えて、海外領土拡大から冷戦に勝利するまでのアメリカの地政学を、より一層クールにザックリまとめると以下の通り。

アメリカは、フランススペインの協力を取り付けて革命戦争に勝利イギリスから独立した。米英戦争ではカナダ獲得に失敗したものの領土は失わず、経済的にイギリスから自立した。その後、外交力でフランスから仏領ルイジアナスペインからフロリダ地方、イギリスからオレゴン地方を順次獲得した。欧州列強との国境問題が一段落すると、テキサスを併合してメキシコを挑発。戦争にも勝利して太平洋岸まで至る広大な領土(カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ等)を獲得。本土の領土拡大を独立後80年弱で完了した。

内戦を乗り越えて統一を保ったアメリカは 、ロシアからアラスカを購入。スペインに戦争で勝利してフィリピングアムプエルトリコを獲得し、キューバ保護国化。ハワイも併合。WWI中にはハイチドミニカ共和国を征服。WWII中にはアメリカ大陸のイギリス海軍基地のほとんどを譲り受け、大西洋と太平洋との両方での制海権を手に入れた。WWII後はソ連との冷戦が勃発したが、経済力で勝利ソ連は崩壊。独立後215年で世界で唯一の超大国となった。

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クリミア戦争で疲弊したロシアからアラスカを獲得したのは「会心の一撃」だったとSynmeは思う。この「購入」がなかったら現代史は大きく違っていただろうと思う。

そして、メキシコに勝利した勢いそのままに落日の帝国スペインを叩きのめして太平洋に進出。ハワイ→グアム→フィリピンは効率的な太平洋の架け橋だ。大西洋については、カリブ海を押さえておいてWWIIでイギリスから制海権を譲り受けることに成功した、というのがSynmeの印象。

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ここまでの各回のクールにザックリも再掲しておく。  

  • 1861年[US085]南北戦争勃発(〜1865年[US089])4年を超える内戦で約50万人の戦死者を出しながらもアメリカ合衆国(USA)がアメリカ連合国(CSA)に勝利して、国家の統一を保った
  • 1867年[US091]、アメリカはクリミア戦争で疲弊したロシアから720万ドルでアラスカを購入する条約に調印した。
  • 19世紀後半、拡大した領土内において、アメリカはスー族、アパッチ族ナバホ族などとインディアン戦争を続けていた。19世紀末(例えば、ウンデット・ニーの虐殺は1890年[US114])を境にインディアンによる大規模な抵抗は行われなくなった。
  • 1898年[US122]米西戦争勃発。アメリカはスペイン勝利し、同年調印されたパリ条約で、太平洋ではフィリピングアム島を獲得した。大西洋ではプエルトリコを獲得しキューバ保護国とした。また、交戦状態停止後に、ハワイを併合した。
  • 1914年[US138]第一次世界大戦勃発(〜1918年[US142])。ドイツによる植民地化を防ぐため、アメリカは1915年[US139]にハイチ、1916年[US140]にドミニカ共和国を征服、軍政を敷いた。アメリカの大戦への参戦は1917年[US141]4月と最終盤であり、実質的な関与は大きくなかった。
  • 1939年[US163]第二次世界大戦勃発(〜1945年[US169])。アメリカは当初は参戦しなかったが、1941年[US165]12月7日の真珠湾攻撃を機に参戦して連合国を勝利に導いた。アメリカ自身わずかな犠牲の見返りとして、北大西洋、西ヨーロッパ、日本、朝鮮半島などで多大な戦果を得た。
  • 【冷戦第一波】▲アメリカは原爆投下により対決姿勢を鮮明にし、封じ込め政策・欧州復興計画やNATO設立により欧州でソ連と対立した。一方、ソ連の原爆保有達成を背景に、アジアで朝鮮戦争が勃発(1950年[US174])したが、北緯38度線は譲らなかった。
  • 1950年[US174]朝鮮戦争勃発。当初は、北朝鮮が韓国に侵攻した戦争だった。しかし、韓国軍の北緯38度線独断先行突破を機に戦争は長期化し、アメリカとチャイナの代理戦争となった。シーソーゲームと化した戦争は1953年[US177]に結局元通りの北緯38度線で休戦。定義上は現在も終結していない。
  • 北緯17度線で南北に分断されていたベトナムで、1955年[US179]南ベトナム傀儡政権が成立すると内戦勃発。アメリカ・南ベトナム北ベトナム・NLF等が戦い、内戦に介入したアメリカが実質的に敗北した。1973年[US197]にパリ和平協定が調印されたがアメリカ軍の全面撤退後は停戦合意は守られず、攻撃を継続した北ベトナムによって1975年[US199]に南ベトナムは崩壊し、約20年に渡ったベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)は終結した。翌1976年[US200]に南北ベトナム統一とベトナム社会主義共和国樹立が宣言された。
  • 【冷戦第一波】▼アメリカは朝鮮戦争を休戦しKhrushchev訪米(1959年[US183])を実現させる一方で、数多の軍事同盟を締結して西側陣営の拡充を図るも、ワルシャワ条約機構設立、ミサイル開発競争など東側陣営との対立は激化。
  • 【冷戦第二波】▲アメリカの高高度偵察機が撃墜され、(U-2撃墜事件、1960年[US184])たことを機にソ連との対立が表面化。ベルリン危機は外交で回避に成功したが、キューバ革命政権の転覆には失敗しキューバ危機(1962年[US186])を招く。▼核戦争の危機は回避され、アメリカは泥沼化したベトナム戦争を外交で停戦(1973年[US197])まで持ち込んだ。
  • 【冷戦第三波】▲しかし、アメリカは内政で混乱し、南アジアや中東諸国の共産化を止められなかった。親米のイランまで反米に転じてしまった結果、ソ連のアフガン侵攻(1979年[US203])を招く。▼ ところが、アフガン侵攻が泥沼化してソ連が苦境に。アメリカは更なる軍拡競争を仕掛けて、ソ連をギブアップさせた。Gorbachevが書記長に就任(1985年[US209])し、アメリカとソ連で冷戦終結を宣言(マルタ会談)したが、東側陣営の求心力を失ったソ連は1991年[US215]に崩壊。アメリカが冷戦に勝利した。

 

文責:鵄士縦七

アメリカの地政学31

さて、予定より長くかかったが、革命戦争から冷戦終結までのアメリカの地政学を学んだ。ここで2回に分けて振り返ってみる。まずは、アメリカ本土の領土拡大完了まで。 

  • 1775年[bUS001]革命戦争勃発。イギリス領13植民地は大陸軍を結成し、翌1776年[US000]にアメリカ合衆国の独立を宣言した。アメリカは、フランスと同盟、スペインの助力も得て、革命戦争に勝利した。1783年[US007]ミシシッピ川より東をアメリカ領とした。アメリカは1803年[US027]には仏領ルイジアナを購入して、領土は西に広がり約2倍になった。
  • 1812年[US036]米英戦争勃発。アメリカはカナダの獲得には失敗したが、特に領土を失うこともなく、むしろインディアン征服は一層進展した。
  • 1818年[US042]、アメリカはイギリスとオレゴン地方を共同領有することに合意。更に1819年[US042]にスペインからフロリダ地方を割譲することに合意。両大国との国境線を一旦確定させた。 
  • 1846年[US070]、アメリカはオレゴン地方をアメリカ領とすることでイギリスと合意。同年、テキサス併合(1845年[US069])を契機として米墨戦争勃発。アメリカはメキシコに勝利して太平洋岸まで領土を拡げ、更に1853年[US077]にガズデン購入。本土の領土拡大を完了させた。

つまり、革命戦争からアメリカ本土の領土拡大完了までのアメリカの地政学を、クールにザックリまとめると以下の通り。

アメリカは、フランススペインの協力を取り付けて革命戦争に勝利イギリスから独立した。米英戦争ではカナダ獲得に失敗したものの領土は失わず、経済的にイギリスから自立した。その後、外交力でフランスから仏領ルイジアナスペインからフロリダ地方、イギリスからオレゴン地方を順次獲得した。欧州列強との国境問題が一段落すると、テキサスを併合してメキシコを挑発。戦争にも勝利して太平洋岸まで至る広大な領土(カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ等)を獲得。本土の領土拡大を独立後80年弱で完了した。

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欧州諸国の対立を巧みに活用しながら、戦争だけでなく外交力で本土の領土拡大を進め、力をつけたところでLocal Direct Competitorたり得たメキシコを叩きのめした(実際、米墨戦争でメキシコは約3分の1の領土を失っている)と言う印象をSynmeは受ける。

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ここまでの各回のクールにザックリも再掲しておく。

  • 1775年[bUS001]アメリカ植民地民兵隊とイギリス軍の間で革命戦争勃発。イギリス領13植民地は、Washington総司令官の下で大陸軍を結成し戦争を継続。翌1776年[US000]アメリカ合衆国の独立を宣言した。B.Franklinの尽力によりフランスがアメリカ側に参戦。フランスの同盟国としてスペインも参戦。1781年[US005]にフランス海軍がイギリス海軍を破ると、イギリス軍は孤立。米仏連合軍がイギリス軍を降伏させ、アメリカが革命戦争に勝利した。1783年[US007]イギリスがアメリカの独立を承認。ミシシッピ川より東をアメリカ領とした。
  • 1803年[US027]アメリカはフランスから仏領ルイジアナを1500万ドルで購入した。アメリカの領土はミシシッピ川を越えて西に広がり、その面積は約2倍になった。
  • 1812年[US036]米英戦争勃発。アメリカはカナダの獲得を狙ったが失敗した。戦争は1814年[US038]に終結した(ガン条約)が、顕著な領土変更は生じなかった。一方で、アメリカによるインディアン征服が一層進展した。
  • アメリカはイギリス1818年[US042]条約を締結し、オレゴン地方を10年間共同領有することと、アメリカとカナダの国境を北緯49度線とすることに合意した。
  • 1819年[US042]アメリカはスペインとアダムズ・オニス条約を締結し、500万ドルでフロリダ地方をアメリカに割譲することと、アメリカとスペイン領の国境を確定させることに合意した。 
  • 1845年[US069]アメリカがテキサスを併合した。併合にあたり、アメリカはテキサス州とメキシコとの国境をリオ・グランデ川と主張した。メキシコとの対立は決定的になった。
  • 1846年[US070]オレゴン条約調印。アメリカとイギリスは北アメリカにおける境界を北緯49度線とする(ただし、バンクーバー島はイギリス領とする)ことに合意した。共同領有は終わり、オレゴン地方はアメリカ領となった
  • 1846年[US070]米墨戦争勃発。アメリカはメキシコに勝利し、1848年[US072]に調印されたグアダルーペ・イダルゴ条約で、1,825万ドルを対価にカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ等を獲得して太平洋岸まで領土を拡げた
  • 1853年[US077]アメリカはメキシコから1,000万ドルでアリゾナ州南部およびニューメキシコ州南西部の地域を購入(ガズデン購入)した。アメリカ本土の領土拡大が完了した。 

 

文責:鵄士縦七