Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ロシアの地政学16:1815第4次ポーランド分割(1814-1815ウィーン会議)

ポーランドの悲劇ふたたび、である。いや、分割だけとっても「よたび」目の悲劇か。。。今回は1815第4次ポーランド分割。最初に、クールにザックリまとめる。 

ロシアは第六次対仏大同盟でフランスに勝利。ウィーン会議で、かつてのワルシャワ公国の大部分にあたる地域をロシアの自治領として独立(ポーランド立憲王国(〜1867年[US091]))させた。 

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ウィーン会議において、かつてのワルシャワ公国の大部分にあたる地域をポーランド立憲王国としてロシアが獲得。1932年[US156]には事実上併合された。プロイセンは第1次ポーランド分割で得た地域に加えて第2次ポーランド分割で得た地域の一部もポズナン大公国として獲得し、オーストリアは第1次ポーランド分割で得た地域をほぼ維持することとなった。クラクフ周辺の地域はクラクフ共和国となったが、1846年[US070]にはオーストリアに併合された。参照地図

ロシアは1812年祖国戦争に勝利して以降、ワルシャワ公国の大部分を征服しており、第六次対仏大同盟の一員としてフランス第一帝政と戦うための通路としていた。

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ポーランドが次に独立を回復するのは第一次世界大戦の後になってしまう。1918年[US142]にポーランド第二共和国として独立するが、この共和政も1939年[US163]にはナチスドイツやソ連の侵攻を受けて崩壊してしまう。。。

なお、ポーランド第二共和国とは、ポーランドリトアニア共和国(1569-1795年[bUS207-US019])と対比しての呼称である。

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ウィーン会議(1814年[US038]〜1815年[US039])は遅々として進まなかったが、Napoléonのエルバ島脱出と復位の報に接して妥協が成立した。オーストリアはドイツ連邦の盟主となりロンバルド=ヴェネト王国の国王となった。ロシアは、フィンランド大公国とポーランド立憲王国を承認させ、オスマン帝国からベッサラビアを獲得。プロイセンはラインラントを含め東西に領土を拡大。イギリスは、フランスからマルタ島を、オランダからセイロン島とケープ植民地を獲得、何より制海権を確立させた。スウェーデンデンマークからノルウェーを獲得してスウェーデンノルウェー連合王国となった。フランス復古王政セネガルを植民地として承認された。その他、ネーデルラント王国が成立、サルデーニャ王国が領土拡大、ナポリ王国復古、スペイン王国復古、スイス連邦永世中立国として承認された。  

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モスクワ遠征(ナポレオン戦争)について、高橋洋一氏の世界のニュースがわかる! 図解地政学入門には以下の様に記述されている。

ナポレオンは周囲の西欧列強のみならず、ロシアにも手を伸ばしたが、想像を絶するロシアの寒さに行く手を阻まれ、甚大な被害を出しながら敗走。ロシアははからずして、領土拡大に成功。

世界のニュースがわかる! 図解地政学入門

世界のニュースがわかる! 図解地政学入門

 

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1795年[US019]、ロシア、プロイセン及びオーストリアの3国がポーランドの全領土を分割(第3次ポーランド分割)してしまった。 

 

文責:鵄士縦七