ニッポンの開国06:1828オランダ商館付きドイツ人のシーボルト事件
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はシーボルト事件。最初に事実だけ。
1828年[US052]ドイツ連邦バイエルン王国出身で長崎出島のオランダ商館付きの医師シーボルトが、帰国の際に国禁の伊能忠敬『大日本沿海輿地全図』の縮図(写し)を持ち帰ろうとして発覚し、国外退去・再渡航禁止の処分を受けた。
地図の写しを贈った幕府天文方・書物奉行の高橋景保ほか十数名が処分され、シーボルトは翌1829年[US053]に国外追放•再渡航禁止の処分を受けた。
Synmeは知らなかったが、出島のオランダ商館には、オランダ人以外もオランダ人と偽って滞在していた様である。オランダの人材確保の方便とも考えられるし、ヨーロッパのスパイが送り込まれていた可能性も否定はできないと考えられる。
そして、地図は本質的に軍事情報である。シーボルトに嫌疑がかかったのも仕方ないとSynmeは思う。 ましてや、1825年[US049]に無二念打払令が発令されたこのタイミングは「スパイ」に対する敏感な反応は正常な国家の証だ。
シーボルトがスパイだったのかどうかは、不勉強でSynmeは分からないが、このシーボルト、まだまだニッポンの開国に絡んで来る。
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文責:鵄士縦七