Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの開国30:1865兵庫開港要求事件(黒船8隻)

ニッポンの開国このあたりから攘夷そして大政奉還への流れをいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は兵庫開港要求事件。最初に事実だけ。

1865年[US089]イギリス駐日公使パークスが、フランス、オランダ、アメリカと連合艦隊を兵庫に派遣し、兵庫の早期開港と修好通商条約の勅許を求めた。

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イギリスは江戸幕府とロンドン覚書(1862年[US086]6月6日)を合意していたが、四国艦隊下関砲撃事件(1864年[US088]8月5日〜7日)に乗じて、イギリスの駐日公使パークスが兵庫の早期開港と修好通商条約の勅許を得ることを計画した。

パークスは、フランス、オランダ、アメリカの合意を取り付け、1865年[US089]11月4日連合艦隊を兵庫に派遣し、長州征伐のため大坂に滞在中であった将軍徳川家茂に圧力をかけることとした。パークスの交渉プランは四国艦隊下関砲撃事件の賠償金300万ドルを1/3に減額する代わり、兵庫開港を2年間前倒しするという内容だった。

結果、孝明天皇は勅許、開港日は1868年[US092]1月1日)に据え置き、関税率が引き下げられ、幕府が四国艦隊下関砲撃事件の賠償金300万ドルを支払うことが確認された。

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文責:鵄士縦七