Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

Synmeがサラリーマンをしている間ずっと気をつけていた唯一のこと

サラリーマンを卒業したので、いくつかのトピックでサラリーマンについて書いてみようと思います。今回は、Synmeがサラリーマンをしている間ずっと気をつけていた唯一のこと。最初に、クールにザックリまとめる。

Synmeがサラリーマンをしている間ずっと気をつけていた唯一のことは、自分の会社のことを『ウチ』と言わず、社名で言う様にしていたこと、です。

f:id:synme:20190328133436j:plain

Synmeは大学5年生のときに外資系企業から内定を貰い、すぐに内定者バイトとして働き始めました。

初日に徹夜することになったのですが、最初に頂いた翻訳(日本語→英語)仕事の出来(Synmeの英訳のアウトプット)がヒドかったので、2日目の朝に『これ翻訳したのダレ?ヒド過ぎて使えないんだけど』と言う先輩アナリストとアソシエイトの会話が少し離れた部屋の中から聞こえて来た時のザンネンな、ハズカシイ、情けない気持ちは…20年以上経った今でもよく覚えています。

この「Synmeがサラリーマンをしている間ずっと気をつけていた唯一のこと」と言うのは、実は最初の数年間はそれ程意識していませんでした。

多分、自分達の会社のことを社名で呼ぶ人の方が多かったからなのではないかと思います。

意識し始めたのは、数年経ってから。当時は、「外資系」と言う業界(正直、同じ外資系でもメーカー、金融、コンサルとか業界が違えば全然違うと思うのですが)が急激にメジャーになっていった時代だったので、外資系に有名大学卒の人や金融出身者、官庁からMBAに行かせて貰ったくせに外資系に鞍替えする様な不当な輩が増え始めていた時期でした。

そう言う多数派ニッポン人の方々が、Synmeの働くオフィスとか、ミーティング内でしきりと「ウチの会社も●●●にピッチすべきだ」「競合外資系の●●●は著名人を顧問に据えているのに、なぜウチはそうしないんだ。だからシニア・リレーションシップが弱いんだ」「競合日系のセールス部隊に比べて、ウチのセールスは弱過ぎる」など「ウチ」を多用し始めました。

いま現在、日系企業に勤めているアナタも自社のことを「ウチ」と言いますか?多分、無意識に言っていますよね??

 

経営者でも雇われ経営者なら「ウチ」と言うのは違うでしょう。経営者は受任者(民法644条、643条)に過ぎませんから。

株主にもオーナーシップがあるわけですが株主として持分を保有する企業はあくまで投資対象ですから「ウチ」ではないですよね?複数投資していたら、多分「ココの会社」「アソコの会社」と呼んでいると思います。

雇われ経営者も株主も言うべきでない「自社=ウチ」と言う表現を、サラリーマン即ち労働者(民法624条、623条)がなんで使うのかなあ、とSynmeには物凄い違和感がありました。

考えてみると、創業社長なら自社のことを「ウチ」と言ってもいい気がするけれど、あくまで自分とは別の法人格を持っているので、創業社長が使うのも違うのかもしれません… ここまで行くと屁理屈な気がして来るけれど。

まあ周りが使うので、Synmeも時々ミーティング中などに「ウチの会社は…」と言ってしまうことがありましたが、その都度「●●●は…」と社名で言い直していました。

 

一方、「我々」とか「僕ら」と言う表現は使うハズですね。 

「我々も(僕らのチームも)●●●にピッチすべきだ」「競合外資系の●●●は著名人を顧問に据えているのに、自社もそうする様に我々から(僕らのチームから)提案しよう。そしてシニア・リレーションシップを強化しよう」「競合日系のセールス部隊に比べて、自社のセールスは弱い。その前提で我々としては(僕らのチームとしては)こういうアプローチを採ろう」とか。

いま現在、日系企業に勤めているアナタも「我々」とか「僕ら」と言いますか?

そして、「私が」とか「僕が」とか、週に何回くらい使いますか?

 

ようするに、そう言うことです。Synmeが 自分の会社のことを『ウチ』と言わず、社名で言う様にしていたのは、自分が、そして自分の所属するチームが、何をすることで自社の付加価値を上げているのか?と言うことを忘れない様にするためでした。

別の言い方をすると、常に同業他社に移れる様に自分のパフォーマンスを保っておかないといけないと言うリスクマネジメントでもありました。

少し前に、Synme自身のキャリアを新幹線の途中下車→町を離れて野っ原へ→小舟で海へ、と表現したことがありますが、外資系に新卒入社して1年経った頃にこんなことがありました。

当時、Synmeはジュニア・アナリストとして、「上司」的な存在が上に7人いました。そして、ある日「この7人のうち4人くらいが『使えない』と思ったら、僕のこの会社でのキャリア終わりなんだ。運良くいい高校へ行けて、良い大学も卒業できたけど、社会人になって2年目でその可能性は十分あり得る」ことにふと気付きました。

その時に感じたのは、「自分は、鈍感で気付いてなかったけど、ちょっと前から崖っぷちを歩いていたんだ」と言うことでした。

その怖さたるや相当で、慣れるまで少し時間がかかりました。そう言うSynmeにとっては自分の会社のことを『ウチ』と表現する人のことは半分くらい理解不能です。

その怖さを克服するためには、レジュメにストーリーが必要で、そのためには「僕」がどんな成果を挙げるか、「僕の属するチーム」がどんな成果を挙げるか、を常に考え続ける必要がありました。

それを忘れたらいけないと感じていたので、Synmeは 自社を『ウチ』とは言わず、言ってしまったら社名で言い換え、メール・ループ上では『僕が…までに…します』と書く様に心掛け、ミーティングでは『我々は…までに…すべきだ』と発言する様にしていました。

 

文責:鵄士縦七

  

 

追伸:このトピックについては、あと1本だけ記事に書いてみます。記憶が薄れる前に「なる早」で。

  • おっさんサラリーマンが語りたがる「給料とは我慢の対価だ」って何なのか?