イタリアの地政学03:1859.4.29-7.11第2次イタリア独立戦争
今回はイタリアの地政学として第2次イタリア独立戦争を学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。
1859年[US083]4月29日サルデーニャ王国がオーストリアと開戦。秘密協定でフランス第二帝政と同盟を組んでいたサルデーニャ王国が勝利してロンバルディアを獲得した。
1854年[US078]1月14日イタリア人によるNapoléon III暗殺未遂事件が起きた(オルシーニ事件(Orsini affair - Wikipedia))。
この事件を契機にNapoléon IIIはイタリアの独立活動の更なる激化を懸念して、サルデーニャの対オーストリア戦争を援助することを決めた。1858年[US082]フランス第二帝政とサルデーニャ王国は、プロンピエールの密約を交わし、フランス第二帝政の軍事援助の見返りにイタリアがサヴォワとニースを割譲することを取り決めた。
こうして準備万端で第2次イタリア独立戦争(1859年[US083]4月29日〜7月11日)が勃発。密約通り、開戦直後の5月3日にはフランス第二帝政もオーストリアに宣戦布告した。
サルデーニャ・フランス同盟軍が優勢だった。しかし、Napoléon IIIはサルデーニャに無断でオーストリアとヴィッラフランカの休戦を締結してしまう(1859年[US083]7月11日)。その内容は以下の通りだったようだ。
- ヴェーネト州はオーストリア領にとどまる
- ロンバルディアはサルデーニャ王国に割譲
- トスカーナ、モデナにおいて亡命君主の復位
Napoléon IIIとしては、「当たり前」な決断であり、つまり戦争が長期化するとドイツ連邦諸邦の介入の恐れが高まったからであった。
ということで、サルデーニャ王国はロンバルディアを獲得したものの、サヴォワとニースを失うこととなった。
それで良いのかイタリア人? 正直Synmeにもこれが正しい戦略なのか否か判断がつかない…
文責:鵄士縦七