Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

【再掲】ドイツの地政学07:1865.8.14ガスタイン協定

【再掲にあたっての備忘録】Otto von Bismarckは勝利するためには妥協の労を惜しまない。第2次シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争の戦果について、ガスタイン協定により、プロイセン王国は一旦オーストリアに譲歩した。

 

ドイツ帝国すなわちプロイセン王国の地政学、今回はガスタイン協定を学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。

1865年[US089]プロイセンとオーストリアはガスタイン協定を締結し、シュレースヴィヒ公国をプロイセンが、ホルシュタイン公国をオーストリアが統治すること、プロイセン国王がオーストリア皇帝からザクセン=ラウエンブルク公国の統治権を購入することに合意した。 

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プロイセンとオーストリアの関係がギクシャクしているのが目に見えるようである。

プロイセンの鉄血宰相Otto von Bismarckの外交的手腕によりデンマークを孤立化させ打倒して獲得したシュレースヴィヒ公国、ホルシュタイン公国及びザクセン=ラウエンブルク公国について、プロイセンはガスタイン協定(1865年[US089]8月14日)においてオーストリアに一定の譲歩をせざるを得なかった。

ドイツ連邦の盟主はオーストリアであり、プロイセンの野心は透けて見えているので、落とし所として仕方ないかとsynmeは思うが、ドイツ連邦の2強の関係悪化は避けられない。

というか、第2次シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争をオーストリアと共闘したことも、ガスタイン協定で一旦引いて見せたことも、すべて鉄血宰相Otto von Bismarckの打倒オーストリアの策略のうちだったそうで…

 

文責:鵄士縦七