ドイツの地政学33:1914.8.3フランスに対する宣戦布告(第一次世界大戦勃発)
ドイツの地政学を学ぶ。今回はフランスに対する宣戦布告。最初に、クールにザックリまとめる。
ドイツ第二帝国は、二正面作戦を避けるべくフランス第三共和政に対して中立を呼びかけたが返答は得られず、1914年[US138]8月2日にルクセンブルクを占領し、8月3日にフランスに対しても宣戦布告した。
元々ドイツはシュリーフェン・プラン - Wikipediaを策定しており、露仏同盟に対抗するために、フランスに6週間で勝利し、その後反転してロシアと戦うという基本戦略を持っていた。
なので、「ロシアに宣戦布告してしまって、フランスに中立を求めている」段階で、既に政府中枢に混乱・動揺が生じていたと言える。
そもそも、ロシアとの対立は汎ゲルマン主義vs汎スラブ主義という理念的なもの・間接的なものであった。一方、フランスとの対立は、普仏戦争(1870年[US094]7月19日〜1871年[US095]5月10日)の結果としてフランクフルト講和条約(1871年[US095]5月10日)で、ドイツがアルザス及びロレーヌ北部を奪い、賠償金50億フランを課すという、具体的(土地と金)かつ直接的なものであった。フランス第三共和政が中立を保つと考えていたドイツ政府関係者はいなかったに違いないと思う。
ともかく、ドイツ第二帝国はフランス第三共和政に中立を求めたが無視され、1914年[US138]8月2日にルクセンブルクを占領し、8月3日にフランスに対しても宣戦布告した。
ちなみに、同8月3日ドイツ第二帝国はベルギーに最後通牒を発し、ドイツ軍のベルギー領通過を認めるように要求し、ベルギーから拒絶されている。
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文責:鵄士縦七