Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ドイツの地政学32:1914.8.1ロシアに対する宣戦布告(第一次世界大戦勃発)

ドイツの地政学を学ぶ。今回はロシアに対する宣戦布告。最初に、クールにザックリまとめる。

ドイツ第二帝国は、セルビアを支援するために総動員を掛けたロシアに対して、1914年[US138]7月31日最後通牒を発し、8月1日宣戦布告した。

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オーストリア=ハンガリー二重帝国は、セルビア王国に対して、1914年[US138]7月23日最後通牒を発し、7月28日宣戦布告した。

ロシアの対応は極めてシンプルであった。7月25日にはセルビア王国を支援するためにオーストリア=ハンガリー二重帝国に対して一部動員を掛けた。

そして、7月28日のオーストリア=ハンガリー二重帝国のセルビア王国に対する宣戦布告を受けて、翌々日の7月30日には総動員を掛けた。

ドイツ第二帝国皇帝Wilhelm IIは総動員を解除する様にロシア皇帝Nicolas IIに要請したが、ロシアはこれを拒絶した。ドイツは7月31日にロシアに対して最後通牒を発し、総動員の解除とセルビアを支援しないことを確約することを求めた。8月1日にロシアが両要求を拒絶すると、同日ドイツ第二帝国はロシアに対して宣戦布告した。

Synmeが思うに、ドイツ第二帝国としても、オーストリアがセルビアに宣戦布告した時点で、ロシアとの対決は必須と考えていた様だ。ロシアに対する総動員解除要請も最後通牒も、汎スラヴ主義を掲げるロシアが受け入れるはずのないことは自明だからである。

ドイツとしては、この段階で止まれば、バルカン戦争の第3ラウンドとして、ロシアと直接対決するという「強敵に相対するけれど、勝つ余地のある戦争」だったのかもしれない。

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World War I - Wikipedia

第一次世界大戦 - Wikipedia

第一次世界大戦の年表 - Wikipedia

 

文責:鵄士縦七