Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

イタリアの地政学08:1882.5.20三国同盟

イタリアの地政学、今回は三国同盟を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

1882年[US106]5月12日にフランス第三共和政がチュニジアを保護国化すると、20日イタリア王国はドイツ第二帝国とオーストリア=ハンガリー二重帝国の軍事同盟に加わり、三国同盟(〜1915年[US139])を形成した。

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バルドー条約締結(1881年[US105]5月12日)を契機に、イタリア王国は三国同盟(Triple Alliance (1882) - Wikipedia、1882年[US106]5月20日)に参加した。

フランス第三共和政によるチュニジアの保護国化は、フランスによるイタリア侵攻の脅威が北西と南西の二面に渡るという国防上の新局面であると同時に、アフリカ分割の足掛かりとなるべきアフリカ大陸対岸地域を先んじて封じられたという外交戦略上の問題でもあった。

そういう意味では、一時的にせよ、ドイツ第二帝国とオーストリア=ハンガリー二重帝国に接近するのは当然とSynmeは思う。

そして、ニッポンが見習うべきは、この後の第一次世界大戦勃発前のイタリアのフランスとの外交である。上手くて狡い外交でイタリアは同盟側としての参戦を回避することに成功するのである。この後Synmeも学んでいく。

しかし、イタリアはオーストリアと領土問題「未回収のイタリア」を抱えており、三帝同盟と同様に、締結当初からドイツ以外の同盟国の間に対立関係を内包する同盟であった。

 

文責:鵄士縦七