Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

イタリアの地政学09:1887.1−1889.5.2イタリア・エチオピア戦争/1889.5.2イタリア領エリトリアの成立

19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる。今回はイタリアの地政学として、イタリア領エリトリアの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 

イタリア王国は1887−1889イタリア・エチオピア戦争に勝利し、1889年[US113]5月2日ウッチャリ条約を締結して、エリトリアを獲得した。

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イタリア王国は、1887−1889イタリア・エチオピア戦争(1887年[US111]1月〜1889年[US113]5月2日、Italo-Ethiopian War of 1887–1889 - Wikipedia)に勝利し、占領していたエリトリアを獲得した。

講和条約(ウッチャリ条約)では、エリトリア領有の見返りに、イタリア王国がエチオピアに経済支援と軍事援助を供することが合意された。

これにより、イタリア王国は初めての植民地イタリア領エリトリア(Italian Eritrea - Wikipedia)を獲得したのである。

現在のエリトリア国(Eritrea - Wikipedia)は北をスーダン、南をエチオピアとジブチに国境を接する紅海沿岸の国である。

後発列強のイタリア王国は、スエズ運河が開通し、コンゴ会議でルールが決められて、エチオピアと戦争をした上で、ようやく最初の植民地を獲得したわけである。

ドイツ第二帝国の相次ぐ植民地獲得とは、流石に役者が違うということで、致し方ないかとSynmeは思う。

 

文責:鵄士縦七