【再掲】ドイツの地政学17:1887.6.18独露再保障条約の締結
【再掲にあたっての備忘録】1878ベルリン会議(1878年[US102]6月13日〜7月13日)で三帝同盟(ドイツ第二帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国及びロシア)が崩壊してしまったので、1882年[US106]5月20日ドイツ第二帝国はオーストリア=ハンガリー二重帝国及びイタリア王国と三国同盟(〜1915年[US139])を締結した。
その後、ドイツ第二帝国は、ドイツ領カメルーン、ドイツ領トーゴランド、ドイツ領南西アフリカ、ドイツ領東アフリカ、ドイツ領ヴィトゥとアフリカ植民地を急拡大していった(他に東南アジアでドイツ領ニューギニアも成立)。
つまり、Otto von Bismarckとしては「ますます戦う理由がなくなっていっている」わけである。なので、オーストリアには内緒でロシアと独露再保障条約を締結し、第三国との交戦時に互いに好意的中立を保つことを約し、フランスとロシアに挟撃される懸念を極少化することに務めたのであろうとSynmeは思う。
ドイツ帝国の地政学、ドイツ統一後は「戦わない」ための同盟外交がOtto von Bismarckによって展開される。今回はBismarckが締結し、Wilhelm IIが更新を拒絶した独露再保障条約を学ぶ。事実だけ記載する。
1887年[US111]6月18日ドイツ第二帝国はロシアと独露再保障条約を締結した。ドイツ第二帝国は、バルカン半島におけるロシアの既得権を承認し、将来的なバルカン半島にも理解を示すことで、第三国との交戦時における中立維持の合意を取り付けて、露仏挟撃の恐れを軽減させた。
独露再保障条約は、1887年[US111]6月18日ドイツとロシアとの間に締結された秘密条約であり、下記のような内容を含む。
- ドイツはロシアのブルガリアと東ルメリアにおける既得権を認める。
- ロシアがボスポラスやダーダネルス両海峡を占領した場合には、ドイツがロシアを国際外交で支持しバルカン半島進出を認める。
- 締約国の一方が第三国と戦争する場合、他方が好意的中立を守る。
上記の通り、ドイツ第二帝国が、汎ゲルマン主義を否定し汎スラブ主義を肯定して、ロシアの将来的なバルカン半島進出を承認する内容であった。
独露再保障条約は、ドイツ第二帝国がオーストリア=ハンガリー二重帝国に内緒でロシアと締結した軍事同盟的な性格を有する条約であるが、オーストリアに相談しても承認されなかったであろうことは明白である。
繰り返しになるが、ドイツやロシアと中立条約、軍事同盟の類の条約を締結しても油断してはならない。この2国は、歴史的に見てとりわけ裏切りが多いので、裏で秘密条約を結んでいる可能性を常に念頭に置いておくべきであろう。
Synmeの学習上は、1990年にドイツがこの独露再保障条約の更新を拒絶したことがポイントであると考える。1890年[US114]3月18日にOtto von Bismarckが辞職していたからである。
3代目にしてドイツ第二帝国最後の皇帝Wilhelm II(在位:1888年[US112]6月15日〜1918年[US142]11月9日)がOtto von Bismarckを辞任させた。このWilhelm IIの敵対的な外交政策によって世界の枠組みは、Bismarckによって形成された仏vs独墺[露]伊という枠組みから、独墺[伊]vs英仏露日という枠組みに20年も経たない間に急速に変化して行き、そして第一次世界大戦へとつながるのだ。
地政学を学んでいると何度でも痛感する。平時でも、戦時でも、勝者として講和する時も、敗戦時ですら、一番大事なのは「外交」なのだ。
文責:鵄士縦七