Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

オーストリアの歴史05:1908.10.6-1909.4ボスニア危機

今回はオーストリアの地政学として、ボスニア危機を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 

1908年[US132]10月6日オーストリア=ハンガリー二重帝国はボスニア・ヘルツェゴビナを併合した。ボスポラス海峡及びダーダネルス海峡の通航権をイギリスとフランスが承認しなかったため、ボスニア・ヘルツェゴビナ併合に反対するセルビアをロシアが支援する事態を招いてしまった。

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前回の繰り返しになるが、オーストリア=ハンガリー二重帝国の思惑は以下の通りであった。

  1. ロシアに「ボスポラス海峡及びダーダネルス海峡の通航権を保障する」と密約する
  2. 念願の、ボスニア・ヘルツェゴビナ併合を平和裡に行う
  3. イギリスとフランスもロシアの「ボスポラス海峡及びダーダネルス海峡の通航権」を承認して、ロシアと共存する形でバルカン半島問題を解決してしまう

ところが、である。

イギリスもフランスもロシアの「ボスポラス海峡及びダーダネルス海峡の通航権」を承認などしなかった。具体的には、1878年[US102]7月13日ベルリン条約の変更に応じないと言うことである。

Synmeが思うに、単純な話である。イギリスにもフランスにもベルリン条約を変更する理由は何もないのである。そして、イギリスにもフランスにも何のメリットもないのである。

言い方を変えてみると、オーストリアが考えていたように「イギリスもフランスもロシアと仲が良い(三国協商を締結している)から、「ボスポラス海峡及びダーダネルス海峡の通航権」を承認してあげるだろう」等と言うことは起こらない、ということである。結局、オーストリアは自分に都合の良いように外交情勢を解釈してロシアと密約を交わし、ロシアもオーストリア同様に甘い見込みを持った、ということである。

Synmeが思うに、イギリスとフランスがロシアのバルカン半島進出を黙認したのは、ドイツ第二帝国に対抗するためであり、オーストリアごときの領土的野心を満足させる必要性など1mmも感じていなかったに違いない。

さて、である。このオーストリア=ハンガリー二重帝国の稚拙な外交が残した影響は以下の通りである。

  1. 結果的に、ボスニア・ヘルツェゴビナ併合は国際的に承認された。その一点については、オーストリア=ハンガリー二重帝国は外交的勝利を収めた
  2. セルビアの反オーストリア感情を高めてしまった
  3. セルビアをロシアが支持せざるを得ない状況を招いてしまった
  4. ボスニア・ヘルツェゴビナ併合を承認しようとしないセルビアに対して圧力をかけるように、ロシアに対してドイツ第二帝国が圧力を掛けた。これにより、ドイツ第二帝国とロシアの関係が敵対的になると同時に、オーストリアはドイツ第二帝国に借りを作ってしまい外交的にはドイツ第二帝国に従属する事態を招いてしまった

 

文責:鵄士縦七