アメリカの地政学11:1945-1991冷戦Vol.2
前置きが長くなってしまったが、ゆげひろのぶ氏の3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編に【冷戦第一波】を学ぶ。最初に、【冷静第一波】の緊張が高まっていく過程についてクールにザックリまとめる。
第二次世界大戦中から燻っていた米ソの対立は、Trumanの原爆投下により決定的となった。Trumanの封じ込め政策・欧州復興計画やチェコスロバキア政変を端緒とするNATO設立により、欧州での対立が高まって行った。アメリカの予想より早いソ連の原爆保有と共産チャイナの成立によりアジアでの東西バランスが崩れた結果として、1950年[US174]朝鮮戦争が勃発した。
【冷静第一波】の緊張が高まっていく過程に起こった出来事は以下の通り。
1945年[US169]2月4日〜11日 アメリカF.Roosevelt、イギリスSir Winston Leonard Spencer-Churchill、ソ連Stalinの首脳会談(ヤルタ会談)が行われた。ドイツのアメリカ、イギリス、ソ連、フランスによる分割統治、ポーランドの国境策定、バルト三国がソ連影響下に置かれること、戦後に設置される予定の安全保障理事会においてアメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中華民国が拒否権を持つこと等が取り決められた。アメリカF.Rooseveltとソ連Stalinはヤルタ秘密協定も締結し、ドイツ敗戦後90日以内のソ連の対日参戦、南樺太と千島列島のソ連への帰属、朝鮮半島の北緯38度線での分断、モンゴル人民共和国の現状維持などを合意した。
ヤルタ会談は勝者の会談であったが、冷戦は第二戦線形成問題として既に始まっていた。アメリカの参戦は真珠湾攻撃翌日の1941年12月8日だったが、連合軍のノルマンディー上陸作戦が実行されたのは1944年6月6日。ロシアがドイツと1941年6月22日(ナチスドイツが独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻)から丸3年戦い続けた末である。イギリスも1940年6月4日のダンケルク撤退以来約4年振りの再上陸であった。更に7月25日にコブラ作戦が実行されて連合軍がパリ方面へ進撃を開始するまで約2ヶ月を要した。
1945年[US169]4月1日 アメリカ軍とイギリス軍を中心とした連合軍が沖縄に上陸して沖縄戦勃発(〜6月23日沖縄陥落)。
1945年[US169]4月12日 F.Rooseveltが死去。同日、副大統領Harry S. Trumanが昇格して第33代大統領に就任した。
1945年[US169]5月2日 ソ連軍がベルリン占領。5月8日にドイツが降伏した。結果論だが、ノルマンディー上陸作戦からたった11ヶ月後だ。ソ連の死傷者数2,060万人が米英の死傷者数合計211万人(イギリス98万人、アメリカ113万人)の約10倍であること(3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編p.45参照)と考え併せると第ニ戦線形成問題は興味深い。Synmeはもう少し学ぶ必要を感じている。
1945年[US169]7月26日 アメリカ、イギリス、中華民国がポツダム宣言を発表(参考:1943年12月1日アメリカ、イギリス、中華民国がカイロ宣言を発表)。
1945年[US169]8月6日午前08時15分 広島に原爆投下。9日午前11時02分には長崎にも原爆投下。Trumanによるソ連に対する威嚇のために広島で9−12万人(1945年12月までの推定)、長崎で約7万人の民間人が死んだ(参考:同じくアメリカによる東京大空襲(1944年11月14日〜、1945年3月10日の下町空襲を指すことも多い)の死者は8−10万人。ナチスドイツによるロンドン大空襲(1940年9月7日〜1941年5月10日)の死者は4.3万人)。
1945年[US169]8月8日 ヤルタ秘密協定に従ってソ連が日ソ中立条約を破棄して、対日宣戦布告。8月9日満州国に侵攻した。9月5日まで続いた戦闘で、ソ連は南樺太、千島列島、満州、朝鮮半島北部を支配下に置いたが、北海道上陸は実行されなかった。
1945年[US169]8月14日 日本がポツダム宣言を受諾、翌15日に玉音放送で国民に周知された。9月2日に日本が同宣言に調印した。
1947年3月12日 Trumanが共産主義封じ込め政策(Truman Doctrine)を発表。介入を続けられなくなったイギリスに代わり、アメリカがギリシャ、トルコに経済・軍事援助を行うことを内容とする。ギリシャ、トルコにアメリカ軍基地を設置。
1947年6月5日 欧州復興計画(通称マーシャルプラン)発表。マーシャルプランは東欧諸国も支援対象に含んでいた。
1947年10月5日 コミンフォルム(共産党・労働者党情報局(Communist Information Bureau))設立の発表。ソ連はコミンフォルムを通して欧州復興計画(Marshall Plan)の受け入れ拒否を各国共産党に指示。ソ連は1949年1月8日に経済相互援助会議(Council for Mutual Economic Assistance)設立。
1948年2月25日 チェコスロバキア政変勃発、共産主義政権樹立。チェコスロバキアは東欧においては例外的に工業国であり、議会制度が整っていた。このクーデターは西欧諸国にとっては二重の衝撃だった。なぜなら、工業国であるチェコスロバキアが加わったことで共産主義陣営の軍事力が大幅に増強されたことを意味し、議会制度が整っていても共産主義革命が成立するのならばイギリスでもフランスでもクーデターは発生しうるということを意味するからだ。
1948年3月17日 イギリス、フランス、ベルギー、ルクセンブルク、オランダはブリュッセル条約(西ヨーロッパ連合条約)に署名。翌1949年4月4日には北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization)設立。アメリカを加えた軍事同盟とした。
1948年6月24日 ソ連がベルリン封鎖開始。アメリカ、イギリスのベルリン大空輸の成功により、1949年5月12日に封鎖解除。
1948年6月28日 ユーゴスラビアがコミンフォルムから除名。ユーゴスラビアは共産党政権にも関わらず、マーシャルプランを受け入れていたことが背景。ユーゴスラビアはソ連軍の助力をほぼ受けることなく単独でナチスドイツを追い出した国であり、西側諸国とも仲良くしたいという独自の外交方針を持っていた。
1948年8月15日 大韓民国成立
1948年9月9日 朝鮮民主主義人民共和国成立
1948年11月2日 Truman大統領再選。
1949年4月4日 北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization)設立。
1949年4月23日 チャイナで中国共産党軍が中華民国の首都南京を制圧。
1949年9月7日 ドイツ連邦共和国(西ドイツ)成立。
1949年10月7日 ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立。ドイツの東西分裂が確定。
1949年8月29日 ソ連が初の核実験に成功。
1949年10月1日 チャイナで中華人民共和国が成立。
1950年2月14日 中ソ友好同盟相互援助条約を締結。
1950年[US174]6月25日【冷戦第一波TOP】朝鮮戦争の勃発
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冷戦第一波に関与したのは、F.Roosevelt、Truman、Eisenhowerの3人の大統領だ。
- Franklin Delano Roosevelt第32代大統領(1933年[US157]3月4日〜1945年[US169]4月12日)
- Harry S. Truman第33代大統領(1945年[US169]4月12日〜1953年[US177]1月20日)
- Dwight David Eisenhower第34代大統領(1953年[US177]1月20日〜1961年[US185]1月20日)
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冷戦第一波に関与したソ連の書記長は以下の通り。
- Joseph Vissarionovich Stalin書記長(1922年[US146]4月3日〜1953年[US177]3月5日)
- Georgy Maximilianovich Malenkov筆頭書記(1953年[US177]3月5日〜13日)
- Nikita Sergeyevich Khrushchev第一書記(1953年[US177]3月14日筆頭書記、9月7日第一書記〜1964年[US188]10月14日)
文責:鵄士縦七