Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

アメリカの地政学32

ひきつづき革命戦争から冷戦終結までのアメリカの地政学をクールにザックリ振り返ってみよう。続いて、海外領土拡大から冷戦に勝利するまで。

  • 領土拡大に起因する内部対立から内戦(南北戦争1861年[US085]〜1865年[US089])が起こるが、アメリカは多大な犠牲を払いながら国家の統一を保った。
  • 1867年[US091]、アメリカはロシアから720万ドルでアラスカを購入。
  • 拡大した本土領土内においても、19世紀末(例えば、ウンデット・ニーの虐殺は1890年[US114])を境にインディアンによる抵抗は終息。
  • 1898年[US122]米西戦争勃発。アメリカはスペインに勝利し、フィリピン、グアム島プエルトリコを獲得。キューバ保護国化。ハワイを併合。1914年[US138]第一次世界大戦勃発(〜1918年[US142])。アメリカはハイチ、ドミニカ共和国を征服した。
  • 1939年[US163]第二次世界大戦勃発(〜1945年[US169])。アメリカは1941年[US165]12月7日の真珠湾攻撃を機に参戦して連合国を勝利に導いた。
  • 【冷戦第一波】▲アメリカは封じ込め政策・欧州復興計画やNATO設立により欧州でソ連と対立。1950年[US174]アジアで朝鮮戦争が勃発。アメリカとチャイナの代理戦争となったが、北緯38度線は譲らなかった。1955年[US179]南北に分断されていたベトナムで内戦勃発。介入したアメリカが実質的に敗北した。1973年[US197]にパリ和平協定が調印されたが停戦合意は守られず、1975年[US199]北ベトナムによって南ベトナムは崩壊。▼アメリカは数多の軍事同盟を締結して西側陣営の拡充を図るも、ワルシャワ条約機構設立、ミサイル開発競争など東側陣営との対立は激化。
  • 【冷戦第二波】▲U-2撃墜事件(1960年[US184]を機にアメリカとソ連との対立が表面化。ベルリン危機は外交で回避したが、キューバ危機(1962年[US186])を招く。▼核戦争の危機は回避され、アメリカはベトナム戦争の停戦(1973年[US197])を達成。
  • 【冷戦第三波】▲しかし、アメリカは内政で混乱し、各国の共産化を止められずイランまで反米に転じ、ソ連のアフガン侵攻(1979年[US203])を招く。▼ ところが、アフガン侵攻が泥沼化してソ連が苦境に。アメリカは更なる軍拡競争を仕掛けて、ソ連をギブアップさせた。ソ連は1991年[US215]に崩壊。アメリカが冷戦に勝利した。

つまり、革命戦争からアメリカ本土の領土拡大完了までに加えて、海外領土拡大から冷戦に勝利するまでのアメリカの地政学を、より一層クールにザックリまとめると以下の通り。

アメリカは、フランススペインの協力を取り付けて革命戦争に勝利イギリスから独立した。米英戦争ではカナダ獲得に失敗したものの領土は失わず、経済的にイギリスから自立した。その後、外交力でフランスから仏領ルイジアナスペインからフロリダ地方、イギリスからオレゴン地方を順次獲得した。欧州列強との国境問題が一段落すると、テキサスを併合してメキシコを挑発。戦争にも勝利して太平洋岸まで至る広大な領土(カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ等)を獲得。本土の領土拡大を独立後80年弱で完了した。

内戦を乗り越えて統一を保ったアメリカは 、ロシアからアラスカを購入。スペインに戦争で勝利してフィリピングアムプエルトリコを獲得し、キューバ保護国化。ハワイも併合。WWI中にはハイチドミニカ共和国を征服。WWII中にはアメリカ大陸のイギリス海軍基地のほとんどを譲り受け、大西洋と太平洋との両方での制海権を手に入れた。WWII後はソ連との冷戦が勃発したが、経済力で勝利ソ連は崩壊。独立後215年で世界で唯一の超大国となった。

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クリミア戦争で疲弊したロシアからアラスカを獲得したのは「会心の一撃」だったとSynmeは思う。この「購入」がなかったら現代史は大きく違っていただろうと思う。

そして、メキシコに勝利した勢いそのままに落日の帝国スペインを叩きのめして太平洋に進出。ハワイ→グアム→フィリピンは効率的な太平洋の架け橋だ。大西洋については、カリブ海を押さえておいてWWIIでイギリスから制海権を譲り受けることに成功した、というのがSynmeの印象。

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ここまでの各回のクールにザックリも再掲しておく。  

  • 1861年[US085]南北戦争勃発(〜1865年[US089])4年を超える内戦で約50万人の戦死者を出しながらもアメリカ合衆国(USA)がアメリカ連合国(CSA)に勝利して、国家の統一を保った
  • 1867年[US091]、アメリカはクリミア戦争で疲弊したロシアから720万ドルでアラスカを購入する条約に調印した。
  • 19世紀後半、拡大した領土内において、アメリカはスー族、アパッチ族ナバホ族などとインディアン戦争を続けていた。19世紀末(例えば、ウンデット・ニーの虐殺は1890年[US114])を境にインディアンによる大規模な抵抗は行われなくなった。
  • 1898年[US122]米西戦争勃発。アメリカはスペイン勝利し、同年調印されたパリ条約で、太平洋ではフィリピングアム島を獲得した。大西洋ではプエルトリコを獲得しキューバ保護国とした。また、交戦状態停止後に、ハワイを併合した。
  • 1914年[US138]第一次世界大戦勃発(〜1918年[US142])。ドイツによる植民地化を防ぐため、アメリカは1915年[US139]にハイチ、1916年[US140]にドミニカ共和国を征服、軍政を敷いた。アメリカの大戦への参戦は1917年[US141]4月と最終盤であり、実質的な関与は大きくなかった。
  • 1939年[US163]第二次世界大戦勃発(〜1945年[US169])。アメリカは当初は参戦しなかったが、1941年[US165]12月7日の真珠湾攻撃を機に参戦して連合国を勝利に導いた。アメリカ自身わずかな犠牲の見返りとして、北大西洋、西ヨーロッパ、日本、朝鮮半島などで多大な戦果を得た。
  • 【冷戦第一波】▲アメリカは原爆投下により対決姿勢を鮮明にし、封じ込め政策・欧州復興計画やNATO設立により欧州でソ連と対立した。一方、ソ連の原爆保有達成を背景に、アジアで朝鮮戦争が勃発(1950年[US174])したが、北緯38度線は譲らなかった。
  • 1950年[US174]朝鮮戦争勃発。当初は、北朝鮮が韓国に侵攻した戦争だった。しかし、韓国軍の北緯38度線独断先行突破を機に戦争は長期化し、アメリカとチャイナの代理戦争となった。シーソーゲームと化した戦争は1953年[US177]に結局元通りの北緯38度線で休戦。定義上は現在も終結していない。
  • 北緯17度線で南北に分断されていたベトナムで、1955年[US179]南ベトナム傀儡政権が成立すると内戦勃発。アメリカ・南ベトナム北ベトナム・NLF等が戦い、内戦に介入したアメリカが実質的に敗北した。1973年[US197]にパリ和平協定が調印されたがアメリカ軍の全面撤退後は停戦合意は守られず、攻撃を継続した北ベトナムによって1975年[US199]に南ベトナムは崩壊し、約20年に渡ったベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)は終結した。翌1976年[US200]に南北ベトナム統一とベトナム社会主義共和国樹立が宣言された。
  • 【冷戦第一波】▼アメリカは朝鮮戦争を休戦しKhrushchev訪米(1959年[US183])を実現させる一方で、数多の軍事同盟を締結して西側陣営の拡充を図るも、ワルシャワ条約機構設立、ミサイル開発競争など東側陣営との対立は激化。
  • 【冷戦第二波】▲アメリカの高高度偵察機が撃墜され、(U-2撃墜事件、1960年[US184])たことを機にソ連との対立が表面化。ベルリン危機は外交で回避に成功したが、キューバ革命政権の転覆には失敗しキューバ危機(1962年[US186])を招く。▼核戦争の危機は回避され、アメリカは泥沼化したベトナム戦争を外交で停戦(1973年[US197])まで持ち込んだ。
  • 【冷戦第三波】▲しかし、アメリカは内政で混乱し、南アジアや中東諸国の共産化を止められなかった。親米のイランまで反米に転じてしまった結果、ソ連のアフガン侵攻(1979年[US203])を招く。▼ ところが、アフガン侵攻が泥沼化してソ連が苦境に。アメリカは更なる軍拡競争を仕掛けて、ソ連をギブアップさせた。Gorbachevが書記長に就任(1985年[US209])し、アメリカとソ連で冷戦終結を宣言(マルタ会談)したが、東側陣営の求心力を失ったソ連は1991年[US215]に崩壊。アメリカが冷戦に勝利した。

 

文責:鵄士縦七