Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

鉄道と運河の地政学09:1914.8.15パナマ運河開通

今回は久し振りに鉄道と運河の地政学、アメリカによるパナマ運河の開通を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

1914年[US138]8月15日アメリカはパナマ運河を開通させた。予定より2年早い完成であり、第一次世界大戦の開戦直後であった。

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1903年[US117]1月22日アメリカはコロンビアとヘイ・エルラン条約(Hay-Herran Treaty)を締結した。この条約は、1,000万ドルの一時金と年間使用料25万ドルを対価(金での支払)に、パナマ地峡全域を幅6マイル(10km弱)に渡って100年間租借するという内容であった。

アメリカ議会は同年3月14日に同条約を批准したが、コロンビア議会が批准せずヘイ・エルラン条約は失効した。

アメリカはパナマをコロンビアから独立させることにし、同年11月3日にはパナマが独立を宣言、アメリカ26代大統領Theodore Rooseveltは11月13日にはこの独立を承認し、同11月18日にはパナマ運河条約を締結した。

この条約により、アメリカは、パナマ運河と運河の中心から両側5マイル(約16km)ずつを永久租借すること、運河の建設・管理運営権、軍事警察権を獲得した。

翌1904年[US118]5月よりアメリカ資本で工事が本格化し、予定より2年早い1914年[US138]8月15日にパナマ運河は完成・開通した。第一次世界大戦勃発(1914年[US138]7月28日)直後のことであった。 

ちなみに、パナマ運河建設にはニッポン人の青山士も従事したそうだ。青山士は、帰国後、信濃川大河津分水路補修工事や荒川放水路建設工事に携わった様である。

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文責:鵄士縦七