アメリカの地政学42:1909.11アメリカによる満州鉄道中立化提案
アメリカの地政学を学ぶ。今回はアメリカによる満州鉄道中立化提案。最初に、クールにザックリまとめる。
1909年[US133]11月アメリカは満州鉄道の中立化を提案した。
アメリカの提案した中立化とは、「満洲の全鉄道を国際シンジゲートで買収して所有権を清国に移し、借款継続中は国際シンジケートで運営する」「これが不可能ならば、列国共同で錦愛鉄道を建設し、満州の中立化を実現する」というものだったようだ。
まあ、「提案」と冠してはいるけれど、アメリカもチャイナ分割の恩恵に浴したい、満州の利権を享受したい、という要求である。
この満州鉄道中立化提案自体は、ニッポンとロシアが反対し、イギリスとフランスも日本とロシアを優先すべきと考えて同意しなかったため、実現しなかった。
しかし、Synmeが思うに大事なのは以下のポイントである。
- アメリカは門戸開放通牒(Open Door Notes、1899年[US123]9月6日)のスタンスを維持し続けていること
- アメリカはポーツマス条約で日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日)の仲介役となったが、あくまでチャイナ市場における(この場合はspecificに満州における)各国の経済活動の機会均等すなわち門戸開放政策を念頭において当該仲介役を務めていたと考えられること
- 結果として、ニッポンはロシアとの関係を強化する外交方針を選択したこと。この点については第2次日露協約で学ぶ
歴史にifを持ち出しても詮無いのだけれど、日露戦争の後のニッポン外交が何らかの形でアメリカにも満州鉄道の権益を享受する機会を与え、シベリア出兵をニッポンとアメリカが主力となって行っていたら?と想像すると、とても興味深い。
文責:鵄士縦七