ロシアの地政学21:1833ウンキャル・スケレッシ条約
ひきつづきロシアの地政学を学ぶ。今回はウンキャル・スケレッシ条約。最初に、クールにザックリまとめる。
1833年[US057]ウンキャル・スケレッシ条約によりロシアはダーダネルス海峡およびボスポラス海峡の独占的航海権を獲得した。
ロシアは1828-29ロシア・トルコ戦争に勝利。アドリアノープル条約(1829年[US053])により黒海の東海岸の大部分(グルジア(ジョージア)及びアルメニア)とドナウ川河口を獲得し、セルビア公国の自治を再確認させ、ギリシャの自治を承認させていた。
しかし、ロシアのトルコ(オスマン帝国)に対する勝利は、黒海からエーゲ海に抜けるルートの南下政策としての意義が大きいところ、アドリアノープル条約ではこの点についてロシアとトルコの間での合意は棚上げされていた。
1833年[US057]7月8日、第1次トルコ・エジプト戦争(1831年[US055]〜1833年[US057])でオスマン帝国を支援したロシアは、ウンキャル・スケレッシ条約を締結することに成功。ロシアがオスマン帝国への軍事支援を引き受け、オスマン帝国からロシアへの援助義務を免除する代償としてロシア艦隊にダーダネルス海峡およびボスポラス海峡の独占的航海権を与える内容であった。
南下を目指すロシアがついにダーダネルス海峡とボスポラス海峡を通って地中海へと至るルートを確立したのだ。しかも、コンスタンティノープル条約の翌年である。戦争当事者でないイギリスにとっては許容できない合意内容であったとSynmeは思う。
それにしても、オスマン帝国は直接対決で敗戦した相手であるロシアと軍事同盟を結んでいる。その点では第2次世界大戦後に締結された日米安保条約と同じである。エジプトに制圧されるところを救って貰ったので、背に腹はかえられぬということか。外交は一筋縄で行くものではないのだなと、改めてSynmeは思う。
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第1次トルコ・エジプト戦争(1831年[US055]〜1833年[US057])は、エジプトのムハンマド・アリーがシリア領有権を宗主国オスマン帝国に要求し侵攻、シリアを占領して勃発した。ロシアは、オスマン帝国を支援したが、ロシア勢力の地中海への拡大を警戒したイギリス・フランス・オーストリアが干渉し、エジプトとオスマン帝国は和解した (キュタヒヤ条約)。ムハンマド・アリーはエジプト・シリアの終身統治権を獲得した。
文責:鵄士縦七