フランスの地政学24:1844清と黄埔条約を締結
アドホックにフランスの地政学として黄埔条約を学ぶ。事実だけ。
1844年[US068]イギリス、アメリカについで、フランス七月王政も清と黄埔条約を締結。清は広州、福州、廈門、寧波、上海の5港を開港させられた上、関税自主権を喪失、治外法権を認め、最恵国待遇を与えた。
黄埔条約(1844年[US068]10月24日)の内容は以下の通り。
- 商船乗組員の秩序に責任を負うとともに、広州、福州、廈門、寧波、上海の5開港場への船舶停泊。
- 清国は特権商人を解散し、フランス帝国と一般業者との自由通商を認めること。
- フランス国民との通商は、第三国との戦乱となりても妨げないこと。
- 開港場の船舶通行の権利と保障、禁制品以外の通商認可。
- 開港場において、フランス国民による教会・病院・養老院・学校・墓地の設置認可。
- 清国官憲によるフランス船舶の勾留廃止など、フランス人財産への不可侵規定。
- 領事もしくは領事代理、並びにフランス国民は、この条約規定以外の義務は負わず。
1839年[US063]イギリスは阿片取り締まりに対抗して開戦。1842年[US066]清に勝利して南京条約で講和した。イギリスは1843年[US067]虎門寨追加条約を締結して香港島を獲得。清は広州、福州、廈門、寧波、上海の5港を開港させられた上、関税自主権を喪失、治外法権を認め、最恵国待遇を与えた。
文責:鵄士縦七