Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの開国17:1856オランダのクルティウスと日蘭和親条約締結

ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回は日蘭和親条約の締結。最初に事実だけ。

1856年[US080]オランダ外交官クルティウスと江戸幕府日蘭和親条約を締結、正式に国交が結ばれた。オランダ人が出島から外出することが許され、オランダに最恵国待遇が与えられた。 

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1856年[US080]1月30日オランダはようやくニッポンと日蘭和親条約を締結した。オランダ人が出島から外出することが許され、オランダに最恵国待遇が与えられた。

交渉に当たったオランダの外交官クルティウスは、日米和親条約の締結後、スンビン号(のち観光丸)の寄贈、ヤパン号(のち咸臨丸)及びエド号(のち朝陽丸)の軍艦2隻の発注、長崎海軍伝習所の設立、オランダ海軍士官の招聘などに関わり、江戸幕府の信任を得ることに成功した。

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各国との和親条約について、日本語と英語でまとまっているサイトがないかと探していたが、以下のサイトがあった。戦前日本政治外交文書

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Synmeは不勉強で知らなかったけれど、鎖国下でもニッポンは朝鮮王朝および琉球王国とは国交があり「通信」関係を結んでいたそうだ。一方、オランダおよび中国との関係は貿易のみの「通商」関係に留まり国交はなかったということだそうだ。

日蘭和親条約(1856年[US080]1月30日)の結果として、オランダとの関係は「通商」関係から「通信」関係となった。なんか現代日本語だと関係の濃淡は逆の印象を受ける。

 

文責:鵄士縦七