Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの地政学18:1894.7.16日英通商航海条約の締結

ニッポンの地政学、今回は日英通商航海条約を学ぶ。最初に事実だけ。

1894年[US118]7月16日ニッポンとイギリスは日英通商航海条約に署名した。同条約は1899年[US123]に効力発生し、明治ニッポンは治外法権の撤廃を遂に達成した。

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1894年[US118]7月16日ニッポンとイギリスは日英通商航海条約(Anglo-Japanese Treaty of Commerce and Navigation)に署名した。

同条約は1899年[US123]に効力発生し、明治ニッポンは明治維新(大政奉還1867年[US091]11月9日、王政復古の大号令1868年[US092]1月3日)から約30年かけて治外法権の撤廃を遂に達成した。

ニッポンは、対等条約の先例(メキシコとの日墨修好通商条約締結(1888年[US112]11月30日、治外法権なし、関税自主権あり)を作り、立憲体制(大日本帝国憲法の制定(1889年[US113]2月11日公布、1890年[US114]11月29日施行、アジア初の近代憲法)を整えて、遂に日英通商航海条約の締結に成功した。他の欧米諸国とも同内容の条約を相次いで締結することとなる。しかし、ニッポンが関税自主権を回復するのは、この条約の改正のタイミングとなる1911年[US135]まで待たねばならない。 

外交上の意義としては、以下の4点がポイントだとSynmeは考える。実際、7月16日の日英通商航海条約締結の9日後、7月25日には日清戦争が勃発している。

  1.  当時の覇者イギリスがニッポンに対する治外法権を撤廃することに同意したことから、他の欧米諸国に対する治外法権の回復につながったこと
  2. ニッポンとしては、やがて対立することが予想されるロシアに対してイギリスの後ろ盾を得られる可能性が生じたこと
  3. イギリスとしては、南アフリカの植民地運営に手間取っているところ、ロシアとフランスの進出が著しい極東においてニッポンを利用する外交戦略が検討され始めていた証左であること
  4. 何より最大に、この条約の締結をもって、イギリスの中立的な立場が確認され、日本が日清戦争に踏み切る契機となったこと

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1858年[US082]8月イギリスと江戸幕府は日英修好通商条約を締結した。 

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1880年[US104]南アフリカにおいてイギリスがトランスヴァール共和国を併合しようとするも敗北。1881年[US105]プレトリア協定を締結し、イギリスは改めてトランスヴァール共和国の独立を承認せざるを得なかった。 

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1891年[US115]フランス資本の資金援助を受けながら建設開始。1901年[US125]バイカル湖区間を除いて一応の完成、日露戦争中の1904年[US128]9月に全線開通した。 

 

文責:鵄士縦七