Inspired by 西野亮廣エンタメ研究所20190416
Synmeは情報収集のために複数のオンラインサロンに入ってみてます。一言で言うと、オンラインサロンは多様化しつつある個人による資金調達手法の1つです。
Synmeが入っているオンラインサロンの1つに西野亮廣エンタメ研究所というところがあります。ここは、月会費が1,000円と安く、かつ、ほぼ毎日オーナー自身の投稿が読めると言う特色があるオンラインサロン。
オンラインサロンは内容について口外禁止なので、インスパイアされたことだけ書くことにします。
暇(ヒマ)という言葉について、以前はネガティブ寄りのイメージを抱いていましたが、寄生獣 新装版 コミック 全10巻完結セット (KCデラックス アフタヌーン)の最終話のミギーの名言を読んでから、ポジティブな印象を抱いているSynmeです。
「道で出会って知り合いになった生き物がふと見ると死んでいた」
「そんな時なんで悲しくなるんだろう」
「そりゃ人間がヒマな動物だからさ」
「だがな それこそが人間の最大の取り柄なんだ」
「心にヒマ(余裕)がある生物 なんとすばらしい!!」
役割という言葉は、今も昔もニュートラルなイメージの言葉な気もします。使い方による、という感じでしょうか。でも、これからは「役割」こそが人々の求めるものなのかもしれません。
「役割」という言葉からSynmeが連想するのは、(役割と)似た意味を持つと思うのですが、「人格」という言葉です。一足飛びに結論だけ言うと、「多重人格じゃない人なんていないのでは?」という話です。
Synmeが大好きな小説家がそういう趣旨のことを書いていた、というだけの話でもあります。が、それを読んでSynmeはとても自由な気持ちになった記憶があります。
例えば、ごく普通のサラリーマンの方がいるとして、会社での人格と自宅での人格は違うでしょう。仕事中の人格と、夕方に仕事が終わってホッと一息ついて友人と食事している時の人格だって違うかもしれません。
ニッポンでは、とかく首尾一貫した1つの人格が求められる風潮があると思うのです。「ブレない」人格、みたいな。でも、真面目に突き詰めて考えると、人格が1コしかないオジサンって怖いですよね。要するに、会社での人格と幼稚園児の我が子と過ごしている時の人格が一緒なわけないぢゃないか?ということです。
で、話を「役割」に戻すと、これからの時代に「役割」が人々の求めるものになるのだとすると、その役割も1コなわけないんぢゃないか?とSynmeは思います。
少なくとも、役割を1コだけ求めるなんて窮屈な気がするので、開けっぴろげにいくつもの役割を同時に求めてもいいんじゃないでしょうか?あるいは次々といくつもの役割を求めては諦めてと繰り返す人がいたって特に問題ない気がします。
それぞれの役割が必ずしも自分に与えられるとは限らないですし、むしろ多重役割を求めていく方がリスク・マネジメントになり、かつ、健全な気がします。まあ、自分に特定の役割が与えられなくても「恨みっこなしで」的な共通の諒解事項は必要かもしれませんが…
文責:鵄士縦七