Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ドイツの地政学27:1905.3.31第1次モロッコ事件

今回はドイツの地政学として、第1次モロッコ事件を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 

1905年[US129]3月31日ドイツ第二帝国皇帝Wilhelm IIがモロッコのタンジールを突如訪問してフランス第三共和政によるモロッコ支配を阻止しようとした(第1次モロッコ事件)。 

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ドイツ第二帝国皇帝Wilhelm IIは、横車を押して、モロッコにおけるフランスの権益が国際的に支持されていることを明らかにしただけであった。

詳細は、下記記事を参照してもらうとして、ドイツの観点から2点だけ補足をしたい。 

synme.hatenablog.com

 

まず、1904年[US128]2月8日に日露戦争(〜1905年[US129]9月5日)が勃発し、1905年[US129]1月22日に血の日曜日事件が起きてロシア第1革命が始まった。

1904年[US128]4月8日に英仏協商が締結されて、この既成事実化を阻止したいドイツとしては、ロシアが戦争と革命に悩まされるこの時期にモロッコ問題(ドイツの観点からすると自国権益の確保)をなんとかしようとした戦術は、タイミング的には正しい。

次に、モロッコが地政学的に重要なことも事実である。地中海の出入り口としてチョークポイントであるジブラルタル海峡 - Wikipediaに睨みを利かせることができるからだ。その重要性はジブラルタル - Wikipediaが現在においてもイギリスの海外領土であることに端的に表れていると言える。

ドイツ第二帝国皇帝Wilhelm IIの敢行したモロッコ事件は、タイミングも目的も正しかったが、実現可能性が十分に高かったか否か疑問が残る。というのが、一番ドイツの事情に配慮した評価か?

  

文責:鵄士縦七