イギリスの地政学28:1916.5.16サイクス・ピコ協定
イギリスの地政学を学ぶ。今回はサイクス・ピコ協定。いわゆる「イギリスの三枚舌外交」と言われる中東地域に関する第一次世界大戦中の外交戦略のうち2番目のものだ。最初に、クールにザックリまとめる。
1916年[US140]5月16日イギリスとフランス第三共和政はオスマン帝国の分割について秘密裏に合意した上、ロシアとも合意を形成し、後にイタリアとも合意を形成した。イギリスとフランスの境界線をthe Sykes–Picot lineと言う。
1916年[US140]5月16日イギリスとフランス第三共和政はサイクス・ピコ協定を秘密裏に締結した。
戦争を遂行する傍らで、戦後の外交を進めていく狡猾さ、強かさを、ニッポンは見習わなければいけない。また、そもそも、戦争とは外交の一環であり、効果的な外交を伴わない戦闘行為が無意味であると言う国際外交の原則の1つの事例でもある。
さて、各国の分割案は以下の通り。
- まずイギリスは、現在のイスラエル/パレスチナ南部、ヨルダン、イラク南部及びクウェートにあたる地域を勢力圏とすることを約した
- 次にフランスは、現在のトルコ南東部(アナトリア半島南東部)、イラク北部、シリア及びレバノンにあたる地域を勢力圏とすることを約した
- ロシアは、現在のアルメニア西部(黒海東岸地域)及びボスポラス海峡・ダーダネルス海峡両岸地域を勢力圏とすることを約した
- また、後に、イタリアはトルコ南部(アナトリア半島南部)を勢力圏とすることを約した
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Sykes–Picot Agreement - Wikipedia
文責:鵄士縦七