Synmeの学習帳

日本の外交・軍事を学ぶ

アメリカの地政学07

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ひきつづきアメリカの地政学としてベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

北緯17度線で南北に分断されていたベトナムで、1955年[US179]南ベトナム傀儡政権が成立すると内戦勃発。アメリカ・南ベトナム北ベトナム・NLF等が戦い、内戦に介入したアメリカが実質的に敗北した。1973年[US197]にパリ和平協定が調印されたがアメリカ軍の全面撤退後は停戦合意は守られず、攻撃を継続した北ベトナムによって1975年[US199]に南ベトナムは崩壊し、約20年に渡ったベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)は終結した。翌1976年[US200]に南北ベトナム統一とベトナム社会主義共和国樹立が宣言された。 

さて、学んで行く。まず、少しだけ時間を遡る必要がある。1954年[US178]7月にジュネーブ協定が成立し、第1次インドシナ戦争終結した。同協定は、フランス軍の完全撤退、ベトナム民主共和国北ベトナム)の独立承認、北緯17度を南北の暫定的軍事境界線とすること(南北分断)、そして南北統一のための自由総選挙を1956年[US180]7月までに実施することを内容とした。なお、ベトナム民主共和国北ベトナム)は、1945年[US169]9月2日に、Ho Chi Minhがハノイでその独立を宣言していた。

しかし、アメリカとベトナム国南ベトナム、フランスの傀儡)はジュネーブ協定の調印に参加しなかった。1955年[US179]10月26日にアメリカの傀儡であるベトナム共和国南ベトナム)が成立し、南北統一選挙も拒否。これに反発して1960年[US184]12月20日にはNLF(National Liberation Front(南ベトナム解放民族戦線)の略称)が結成された。翌年、NLFはベトナム共和国南ベトナム)とアメリカの打倒を掲げて宣戦布告。ベトナムは内戦状態に陥った。

ジュネーブ協定にはチャイナとソ連も参加していたので、分断国家の成立過程は朝鮮半島の南北分断と似ていた。しかし、アメリカが反共の傀儡政権を作ることでベトナムの内戦に介入した形となった(統一後のベトナムでは米国戦争あるいは抗米救国戦争と呼ばれている)こと、南(ベトナム共和国)側の内部でNLFという国家統一を望む勢力が結集した(朝鮮半島の場合、南北は互いに自身による半島統一を望むに留まった)こと等が異なる点であるとSynmeは考える。

また、1973年[US197]にパリ和平協定が調印されてアメリカは同年1月29日にベトナム戦争終結を宣言した。しかし、停戦合意は守られずベトナム民主共和国北ベトナム)は攻撃を継続し、1975年[US199]4月30日のサイゴン陥落によってベトナム共和国南ベトナム)は崩壊してしまった。アメリカが実質的に敗北した帰結である。

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なお、ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)の期間だがSynmeはベトナム共和国南ベトナム)の成立(1955年[US179])から崩壊(1975年[US199])までとした。高橋洋一氏は世界のニュースがわかる! 図解地政学入門において、NLFの成立した1960年[US184]をもって戦争開始としている。

  

文責:鵄士縦七