Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ロシアの地政学04:1788-1790第1次ロシア・スウェーデン戦争

ひきつづきロシアの地政学を学ぶ。今回は第1次ロシア・スウェーデン戦争(ヴァララの和約)。最初に、クールにザックリまとめる。 

1788年[bUS012]第1次ロシア・スウェーデン戦争勃発。ロシアはスヴェンスクスンドの海戦で大敗するも明確な勝敗はつかず1790年[bUS014]ヴァララの和約を締結。両国共に領土の変更はなかったが、ロシアはスウェーデンに対する内政干渉権を正式に取り消した。

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1762年[bUS014]10月3日に戴冠したYekaterina II、トルコ(オスマン帝国)に勝利(1774年[bUS002])し、第一次武装中立同盟(ロシア、スウェーデンデンマークプロイセンポルトガル1780年[US004]〜1783年[US007])でイギリスを孤立させてアメリカの独立を助け、お次はスウェーデンと戦争である。

スウェーデンは、1788年6月、前年4月に勃発していた1787-1792ロシア・トルコ戦争(1787年4月〜1791年12月29日)を利用して、カレリアの返還とロシアの内政干渉停止などを目指して、ロシアの攻撃を自作自演して防衛戦争と偽ってロシアと開戦した。

これが第1次ロシア・スウェーデン戦争(1788年[US012]6月〜1790年[US014]8月)である。

スウェーデンは戦時同盟国を持たず、フランスは革命直前の混乱によりスウェーデンを支援できず、かつて大北方戦争共闘したオスマン帝国も同盟を拒否した。イギリス、プロイセンなどは中立を表明した。

デンマークはロシアと同盟関係にあり、デンマークスウェーデンに対し宣戦布告した。しかし、スウェーデンは水面下での外交で、イギリスとプロイセンデンマークに圧力を加えさせ、戦線から離脱させた。

フィンランド湾で行われたスヴェンスクスンドの海戦(1790年7月)で、ロシアのバルチック艦隊スウェーデン海軍に大敗北を喫する等したが、フランス革命(1789年7月14日のバスティーユ襲撃)の勃発により両国の関係は急速に改善に向かった。

結局、イギリスとプロイセンの仲介により、1790年8月14日にヴァララの和約が締結された。ロシアとスウェーデンは、ロシアの内政干渉権取消し、領土変更なしで和平合意した。

更に、ロシアはスウェーデンと1791年10月19日に軍事同盟を締結した。この同盟により、外国に攻撃された場合の相互援助を約したが、仮想敵国はフランスであった。

 

文責:鵄士縦七