ロシアの地政学12:1808-1809第2次ロシア・スウェーデン戦争、フレデリスクハムンの和約
5ヶ月も間が空いてしまった、残念。気を取り直して、ひきつづきロシアの地政学を学ぶ。今回は第2次ロシア・スウェーデン戦争をロシアの観点から学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。
1808年[US032]ロシアがフィンランドに侵攻して第2次ロシア・スウェーデン戦争勃発。ロシアが勝利し、1809年[US033]フレデリスクハムンの和約を締結。スウェーデンは、フィンランド全土とオーランド諸島を割譲した。 フィンランドはロシアの自治領として独立(フィンランド大公国(〜1917年[US141]))した。
第2次ロシア・スウェーデン戦争勃発前の時点において、スウェーデンとポルトガルだけが、大陸封鎖令への参加を拒否していた。
ティルジットの和約によりフランス第一帝政と協調することを選んだロシアとスウェーデンを大陸封鎖令に参加させたいフランス第一帝政は、1807年[US031]10月に密約を結び、ロシアがスウェーデンと戦うことを条件にロシアがスウェーデンの属領フィンランドを自由にして良いと言う密約を結んでいた。
1808年[US032]2月21日ロシアがフィンランドに侵攻した。8万のロシア軍に対して、フィンランドに駐留していた1万のスウェーデン軍は戦わずして降伏した。
同時にデンマークとフランス第一帝政もスウェーデンに対して宣戦布告したが、デンマークは外交断絶により直接の戦闘は回避でき、フランス第一帝政も上陸作戦を実施しなかった。三正面作戦を避けられたグスタフ4世は、徴兵を行い自ら軍を率いてフィンランドでロシア軍と戦ったが敗北。敗走する中で、ロシア軍に追撃されオーランド諸島まで占有されてしまった。
1809年[US033]9月17日ロシアとスウェーデンはフレデリスクハムンの和約を締結。スウェーデンは600年間支配していた属領フィンランド全土と自国領土オーランド諸島をロシアに割譲した。また、スウェーデンは大陸封鎖令に参加することとなった。
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フィンランドは、600年に及ぶスウェーデンの支配から脱することとなったが、1917年[US141]12月6日(フィンランド独立宣言)までロシア帝国の属領となった。
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1788年[US012]第1次ロシア・スウェーデン戦争勃発。ロシアはスヴェンスクスンドの海戦で大敗するも明確な勝敗はつかず1790年[US014]ヴァララの和約を締結。両国共に領土の変更はなかったが、ロシアはスウェーデンに対する内政干渉権を正式に取り消した。
文責:鵄士縦七