ロシアの地政学03:1780-1783第1次武装中立同盟
ロシアの地政学、次はWikipediaで第1次武装中立同盟を学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。
イギリスの対米海上封鎖に対抗して、ロシアはスウェーデン、デンマーク、プロイセン、ポルトガルと共に第1次武装中立同盟(1780年[US004]〜1783年[US007])を結成した。ロシアはアメリカの独立を間接的に助けた。
1762年[bUS014]10月3日に戴冠したYekaterina II、トルコ(オスマン帝国)に勝利(1768年[bUS008]〜1774年[bUS002]7月21日、キュチュク・カイナルジ条約)した後は、イギリスとの対立である。
イギリスはアメリカと革命戦争(1775年[bUS001]4月19日〜1783年[US007]9月3日)中であった。第1次武装中立同盟の結果、 フランス・スペイン・オランダからも宣戦布告されていたイギリスは孤立。ロシアはアメリカの独立を助けたことになる。
第1次武装中立同盟について、武装中立同盟 - Wikipediaから下記の通り引用する。
武装中立同盟(League of Armed Neutrality)は、アメリカ独立戦争中の1780年から1783年にかけて、ロシア帝国のエカチェリーナ2世主導で結成された、ヨーロッパ各国の同盟。
イギリスの対米海上封鎖(中立国船舶捕獲宣言)を行った事に対して、1778年に中立国のスウェーデンが中立国船舶の保護を訴えた。翌1779年、イギリスの政策に対抗してロシアの女帝エカチェリーナ2世が中立国船舶の航行の自由と禁制品以外の物資輸送の自由を宣言をした。この提唱による参加国は北欧を中心にロシア・スウェーデン・デンマーク・プロイセン・ポルトガルの5か国。
植民地政策でのイギリスとの対立や、当時盛んになった啓蒙思想に共鳴したことが同盟参加の鍵となった。この同盟の結成により、アメリカ独立戦争は国際化し、フランス・スペイン・オランダからも宣戦布告されていたイギリスは孤立する結果となり、アメリカの独立を間接的に支援する結果となった。
また、アメリカ合衆国の独立に際し、ヨーロッパの中立国の中でスウェーデンは最初にアメリカを国家承認した国となった(ただしスウェーデン人義勇兵は、両方の陣営に加わっていた)。
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文責:鵄士縦七