Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ロシアの地政学09:1805-1806第三次対仏大同盟

ひきつづきロシアの地政学を学ぶ。今回は第三次対仏大同盟をロシアの観点から学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 

ロシアは第三次対仏大同盟(1805年[US029]〜1806年[US030])に参加し、オーストリアと共にバイエルンに侵攻してミュンヘンを陥落させた。ロシアはウルム戦役でフランスに敗れたオーストリアの残存部隊と合流してアウステルリッツの戦い(1805年[US029])を戦ったが、フランスに敗北して敗走した。

f:id:synme:20171022222433j:plain

Yekaterina II亡き後、まず第二次対仏大同盟でイギリスと同盟、次に第2次武装中立同盟でイギリスと対立したロシア、第三次対仏大同盟には参加して再びイギリスと同盟する。

イギリス本土への侵攻作戦を計画していたフランス第一帝政の隙を突いてオーストリアバイエルンに侵攻。ロシアもこれに続いてバイエルンに侵攻し、協同してミュンヘンを陥落させた。

しかし、ウルム戦役(1805年[US029]9月25日〜10月20日)でオーストリアは不意を突かれてフランスに敗北し、ウィーン入城(11月14日)を許してしまう。

12月、ロシアはオーストリア残存部隊と合流してフランスに対して開戦(アウステルリッツの戦い(1805年[US029]12月2日))するが、 フランス軍に中央突破されると、散り散りになって敗走した。

イギリス及びオーストリアに呼応して遠征するも、Alexander Suvorovを失ったロシアはNapoléon Bonaparteに敗北。第二次対仏大同盟の時も今回も、なんとも淡泊な結果となるが、フランスとしてもロシアを追撃する体力・余裕はないということだとSynmeは思う。

---

synme.hatenablog.com

1803年[US027]イギリスはアミアンの和約を破棄してフランスへ宣戦布告。ナポレオン戦争が勃発した。フランス第一帝政のイギリス侵攻計画に対抗して、1805年[US029]イギリスは第三次対仏大同盟を結成。フランスは、イギリス、オーストリア、ロシア、ナポリスウェーデンの5ヶ国連合軍と戦うこととなった。トラファルガーの海戦においてフランス・スペイン連合艦隊がイギリス艦隊に敗北するも、Napoléonはウルム戦役でオーストリア軍に勝利し、アウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍に勝利。プレスブルクの和約により、オーストリアはフランスにイストリアとダルマチアを割譲、イタリア王国を承認して同国にヴェネツィアを割譲した。1806年[US030]にフランス軍ナポリ王国を征服。第三次対仏大同盟はイギリス、ロシア、スウェーデンの3ヶ国のみになってしまった。 

 

文責:鵄士縦七