Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

フランスの地政学15:1861-1867メキシコ出兵

ひきつづきNapoléon IIIに関連するフランスの地政学を学ぶ。今回は一転メキシコに対する干渉戦争、メキシコ出兵である。最初にクールにザックリまとめる。

1861年[US085]Napoléon IIIはメキシコに出兵し傀儡のメキシコ第二帝国を成立させたが、1866年[US090]アメリ南北戦争終結するとフランス軍を撤退させた。傀儡のメキシコ皇帝は処刑されてしまい、Napoléon IIIの権威は失墜した

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1858年[US082]1月15日メキシコ合衆国においてBenito Pablo Juárez García大統領(〜1872年[US096]7月18日)が初めて先住民族から大統領に選出された。

Benito Juárez大統領が債務の利息支払を停止したのに対して、1861年[US085]12月8日〜17日にかけて、フランス第二帝政、イギリス、スペインが艦隊を派遣。利息を支払わせるべく圧力をかけた。

イギリスとスペインは翌1862年[US083]4月29日までに撤退したが、Napoléon III(Charles Louis-Napoléon Bonaparte)はメキシコにアメリカを牽制するカトリック帝国の建設を狙っていたため、メキシコ合衆国軍に対する戦争を継続した。

アメリカ合衆国南北戦争中(1861年[US085]4月12日〜1865年[US089]5月9日)であり、他国に介入できない状況だったため、フランス第二帝政は首都メキシコシティを攻略(1863年[US087]5月31日)し、傀儡政権としてメキシコ皇帝を即位させる(1864年[US088]4月10日、マキシミリアン、メキシコ第二帝国)などしていた。

しかし、アメリカ合衆国は、南北戦争終結すると、1866年[US090]2月12日にはメキシコ第二帝国を承認しないことを議会で決議し、メキシコ国境にアメリカ軍を派遣。Benito Juárez大統領に武器の供与なども行った。

1866年[US090]5月31日、アメリカ合衆国との対立を望まないNapoléon IIIはフランス軍の撤退を開始し、メキシコ皇帝は翌1867年[US091]5月15日にはBenito Juárez大統領側に拘束され、6月19日には処刑される結果となってしまった。

このメキシコ出兵1861年[US085]12月8日〜1867年[US091]6月21日) により、Napoléon IIIの権威は失墜した。

 

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1846年[US070]米墨戦争勃発。アメリカはメキシコに勝利し、1848年[US072]に調印されたグアダルーペ・イダルゴ条約で、1,825万ドルを対価にカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ等を獲得して太平洋岸まで領土を拡げた。

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1853年[US077]アメリカはメキシコから1,000万ドルでアリゾナ州南部およびニューメキシコ州南西部の地域を購入(ガズデン購入)した。アメリカ本土の領土拡大が完了した。 

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1861年[US085]南北戦争勃発(〜1865年[US089])。4年を超える内戦で約50万人の戦死者を出しながらもアメリカ合衆国(USA)がアメリカ連合国(CSA)に勝利して、国家の統一を保った。

 

文責:鵄士縦七