アメリカの地政学28:1861-1865南北戦争
今回はアメリカの地政学として、アメリカ唯一の内戦である南北戦争を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。
1861年[US085]南北戦争勃発(〜1865年[US089])。4年を超える内戦で約50万人の戦死者を出しながらもアメリカ合衆国(USA)がアメリカ連合国(CSA)に勝利して、国家の統一を保った。
1861年[US085]4月12日、アメリカ史上唯一の内戦(南北戦争、The Civil War)勃発。約50万人の戦死者を出しながらも、保護貿易を求める北部自由州(アメリカ合衆国、USA(United States of America))が自由貿易と奴隷制存続を掲げて独立を求めた南部奴隷州(アメリカ連合国、CSA(Confederate States of America))に勝利(1865年[US089]4月9日にアポマトックス・コートハウスの戦いに敗北した南軍リー将軍が北軍グラント将軍に降伏。南北戦争は事実上終結した。)して、国家の統一を保った。
連合国の範囲(参照:アメリカ連合国 - Wikipedia)を確認しよう。連合国形成、南北戦争勃発の経緯も以下の通り。
- まずサウスカロライナ州が連邦から脱退。
- ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州が続いて脱退。
- 1861年[US085]2月4日、これら6州により「アメリカ連合国(CSA)」が結成された。翌日 ジェファソン・デーヴィスがアメリカ連合国大統領に選出された。
- テキサス州ではCSAに対する忠誠の宣言を行なうことを拒絶した知事サミュエル・ヒューストンを替え、3月初頭にはCSAに加盟。
- これら7州はUSAからの分離独立を宣言した。
- 1861年[US085]4月12日に、サウスカロライナ軍は、サウスカロライナ州チャールストンのサムター要塞に残っていた合衆国(USA)軍に砲撃し、これを降伏させた。
- リンカーンはUSAに残った全ての州に対し、軍を送りサムター要塞とその他の要塞を奪還し、首都を防衛して連邦を守るよう呼びかけた。
- さらに4つの州(バージニア州、アーカンソー州、テネシー州、ノーズカロライナ州)がUSA脱退。連合国(CSA)は合計11州になった。
- ミズーリ州とケンタッキー州はUSAに留まった。しかし、これら2州からの反対党派もCSAの一員として認められた。従って、CSAの数は13州と数えられることもある。
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この南北戦争を戦ったのがAbraham Lincoln第16代大統領(在任:1861年[US085]3月4日〜1865年[US089]4月15日)である。
ルイジアナ購入や米墨戦争勝利などの相次ぐ領土拡大が南北対立の背景だが、Lincoln大統領の当選(1860年[US084]11月)が南部奴隷州の連邦脱退の直接の契機であった。実際、Lincoln大統領就任(1861年[US085]3月4日)の1ヶ月前にCSAが成立している。
また、1865年[US089]4月9日に南北戦争が事実上集結し、その6日後の4月15日にLincolnは暗殺されている。その4年と少しの任期の大半は北軍のリーダーとしてアメリカの統一を維持すべく戦うことに費やされ、Lincolnが統一アメリカの大統領だったのは4月10日〜15日のたった6日間だけだった。
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カンザス・ネブラスカ法は、1854年[US078]にカンザス準州とネブラスカ準州を創設して新しい土地を開放し、1820年[US044]のミズーリ妥協を撤廃し、2つの準州開拓者達がその領域内で奴隷制を認めるかどうかは自分達で決めることを認めた法律である。この法律は民主党の上院議員スティーブン・ダグラスによって考案された。
文責:鵄士縦七