フランスの地政学21:1888シップソーンチュタイ地方の保護国化
フランスの地政学、今回と次回でラオスについて学び、フランス領インドシナ(=ベトナム+ラオス+カンボジア)成立まで学び終える。最初にクールにザックリまとめる。
1888年[US112]フランス第三共和政はシップソーン・チュタイ地方(タイの属国ルアンパバーン王国北東部)を保護領化した。
現在のラオスにあたる地域は、ベトナムとタイに挟まれ18世紀〜19世紀にわたって、両国からの侵攻を受けていた。
フランス第三共和政がベトナム保護国化を完成した19世紀末、現在のラオスにあたる地域は、北部にあってタイの属国となってしまっていたルアンパバーン王国と、1828年[US052]にタイに滅ぼされてしまった旧ヴィエンチャン王国領土(1828年[US052]以降はタイ領)とに二分されていた。
1887年[US111]黒旗軍がルアンパバーン王国に侵攻。襲撃された国王一家をフランスが救出した。黒旗軍は太平天国の残党であり、傭兵としてトンキン戦争および清仏戦争においてフランスと戦った武装勢力である。
結果的に、黒旗軍の侵攻に対して助けにならなかったタイの地位低下を横目に、国王を救い出したフランスがアンパバーン王国の信頼を得ることとなり、黒旗軍により占領されていたシップソーンチュタイ地方(アンパバーン王国北東部:ディエンビエン省、ライチャウ省、ソンラ省)を保護領化した。
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1882年[US106]フランス第三共和政は阮朝(グェン朝、越南)に侵攻した(トンキン戦争)。1883年[US107]に第1次フエ条約、1884年[US108]第2次フエ条約を締結して、コーチシナ植民地を拡大し、トンキン地方を拡大・保護領とし、アンナンの領土を認めて阮朝を保護国とした。
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1883年[US107]清仏戦争勃発。フランス第三共和政は清に勝利して1885年[US109]天津条約を締結、清はベトナム(=阮朝)に対する宗主権を放棄した。
文責:鵄士縦七