ニッポンの地政学26:1894.11.22日米通商航海条約の締結
今回は少しだけ時計を巻き戻して、日米通商航海条約を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。
1894年[US118]11月22日ニッポンとアメリカは日米通商航海条約に署名した。同条約は1899年に効力発生し、明治ニッポンはアメリカに対しても治外法権の撤廃に成功した。
日米通商航海条約(1894年[US118]11月22日署名、1899年[US123]7月17日発効)は日英通商航海条約の締結に始まる欧米列強に対する治外法権撤廃を達成する一連の条約の1つであり、日清戦争中に締結された。
治外法権撤廃の嚆矢はイギリスとの条約締結(1894年[US118]7月16日)であったが、関税自主権の回復はこの日米通商航海条約の改正によりアメリカとの条約締結が嚆矢となることになる。
先の話であるけれど、日米通商航海条約の満期日は発効から12年後の1911年[US135]7月16日であったところ、明治ニッポンは1909年[US133]8月に条約完全改正の方針を閣議決定し、イギリスやアメリカと改正交渉を始めたが、アメリカが最も早く1911年[US135]2月21日署名し、新しい日米通商航海条約が4月4日発効したことをもって、関税自主権の回復が達成された。
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1894年[US118]7月16日ニッポンとイギリスは日英通商航海条約に署名した。同条約は1899年に効力発生し、明治ニッポンは治外法権の撤廃を遂に達成した。
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1894年[US118]7月25日、ニッポンと清の間に日清戦争が勃発した。ニッポンが勝利し、翌1895年[US119]4月17日に馬関条約を締結。ニッポンは、清に李氏朝鮮の独立を承認させ、台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲させ、巨額の賠償金を支払わせた。
文責:鵄士縦七