ニッポンの地政学25:1896.7.21日清通商航海条約の締結
日清戦争に関連してニッポンの地政学を学ぶ。今回は日清通商航海条約の締結を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。
1896年[US120]7月21日ニッポンと清は日清通商航海条約を締結した。ニッポンに欧米列強と同等の経済的待遇と領事裁判権を認める不平等条約であった。
日清戦争(1894年[US118]7月25日〜1895年[US119]4月17日)勃発により、日清修好条規(1871年[US095]9月13日締結)が破棄されたため、馬関条約の締結後に日清通商航海条約(1896年[US120]7月21日締結、10月28日発効)がニッポンと清の間に締結された。
ニッポンの勝利を反映して、(変則的とはいえ)平等条約であった日清修好条規と異なり、ニッポンに有利な不平等条約として日清通商航海条約は定められた。具体的には、ニッポンに対して欧米列強と同等の経済的待遇と領事裁判権を認めた。
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李氏朝鮮との国交樹立が達成できないため、1871年[US095]ニッポンはまず李氏朝鮮の宗主国である清と日清修好条規を締結した。
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1894年[US118]7月25日、ニッポンと清の間に日清戦争が勃発した。ニッポンが勝利し、翌1895年[US119]4月17日に馬関条約を締結。ニッポンは、清に李氏朝鮮の独立を承認させ、台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲させ、巨額の賠償金を支払わせた。
文責:鵄士縦七