Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの地政学40:1907.7.24第3次日韓協約

いよいよ第1期グレートゲーム(The Great Game)終結が目前。今回はニッポンの地政学として、第3次日韓協約を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

1907年[US131]7月24日ニッポンは第3次日韓協約を結び、大韓帝国官吏の任免権等を得るのに加えて、非公開で大韓帝国軍の解散と司法権・警察権の接収を取り決め、保護国化を強めた。

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第3次日韓協約(1907年[US131]7月24日)の締結により、ニッポンは韓国統監が大韓帝国の高級官吏の任免権の一部を持つこと、一部官吏に日本人を登用できることなどを取り決めた。また非公開で大韓帝国軍の解散と司法権・警察権をニッポンに委任することも定められた。第2次日韓協約でニッポンは大韓帝国を既に保護国化していたが、第3次日韓協約でそれが強化された。

ことの起こりは、またしてもコリアの歴史で再三繰り返される戦略なき外交であった。

4月20日に高宗(李氏朝鮮国王1863年[US087]12月13日〜1897年[US121]10月12日、大韓帝国皇帝1897年[US121]10月12日〜1907年[US131]7月18日)がオランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に3人の密使を送り、第2次日韓協約によって失った外交権回復を欧米列強に訴えようとした。しかし、ロシアは面会を拒絶(6月29日)、アメリカ、フランス第三共和政、イギリス、ドイツ第二帝国は支援を拒否(6月30日)、オランダは面会を拒絶した。密使の派遣が発覚し、伊藤博文統監が高宗の責任を追及、7月18日に高宗は子の純宗へ譲位して退位した。

高宗は、その在位中に、日清戦争のタナボタでチャイナの1000年の支配から独立できたにもかかわらず、三国干渉に付け込んでニッポンを蔑ろにした挙句みずからロシアの事実上の属国になり(露館播遷)、日露戦争でニッポンがロシアを破っても大勢を読もうとせずに無策の外交を継続してニッポンを怒らせて、数度の日韓協約の締結で外交権と内政権を順次失っていくこととなった。

Synmeが思うに、高宗でなければ大韓帝国の歴史は違ったものになっていた可能性があるのではないだろうか。まあ、コリアの歴史を知れば知るほど、そんな政治家がいなかったことはわかるのだけれど…

 

文責:鵄士縦七