Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

フランスの地政学28:19C半ば−1895.10.27フランス領西アフリカの成立

今回からフランスの地政学を学んで行く。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回はフランス領西アフリカの成立。最初に、クールにザックリまとめる。 

19世紀半ば以降、フランスはセネガルやコートジボワール(象牙海岸)など大西洋沿岸部からアフリカ侵略を展開し、1895年[US119]10月27日フランス領西アフリカを成立させた。その領域は、現在のセネガル、モーリタニア、ギニア、マリ、コートジボワール、ブルキナファソ、ニジェール、トーゴ、ベナン、ナイジェリアに及んだ。

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フランス領西アフリカ(French West Africa - Wikipedia)は1895年[US119]10月27日に成立した。そして、その過程は19世紀半ばから末に掛けて、大西洋沿岸から内陸へという方向性で進んで行ったことは明らかである。

ただ、Synmeなりにウェブ上を調べてみたけれど、その過程を解説するサイトが少ない様に感じた。言語の問題(フランス語ならもっと見つかるかも)かもしれないし、そもそもSynmeの検索方法が悪いのかもしれない。

だから、という訳ではないけれど、フランス領西アフリカ(French West Africa - Wikipedia)が現在だとどの国に当たるのか、その中でセネガルに首都が置かれた背景、という2つの点を学んでおきたい。

では早速フランス領西アフリカの領域を学ぶ。Synmeは、とにかくその広いことに驚いた。産業革命に成功し、地中海に面していたフランスはアフリカ侵略の中心的存在であったのだ。しかも、フランス領西アフリカはフランスのアフリカ植民地の一部にしか過ぎないのである。

  1. セネガル(セネガル - Wikipedia
  2. モーリタニア(モーリタニア - Wikipedia
  3. ギニア(ギニア - Wikipedia
  4. マリ(マリ共和国 - Wikipedia
  5. コートジボワール(コートジボワール - Wikipedia
  6. ブルキナファソ(ブルキナファソ - Wikipedia
  7. ニジェール(ニジェール - Wikipedia
  8. トーゴ(トーゴ - Wikipedia
  9. ベナン(ベナン - Wikipedia
  10. ナイジェリア(ナイジェリア - Wikipedia

沿岸に位置する国は西北から順に、モーリタニア、セネガル、ギニア、コートジボワール、トーゴ、ベナン、ナイジェリアとなる。飛び飛びに、イギリス他の植民地がある(ガンビア(イギリス植民地)、ギニアビサウ(ポルトガル植民地)、シエラレオネ(イギリスで解放された黒人奴隷の移住地)、リベリア(アメリカで解放された黒人奴隷により建国)、ガーナ(イギリス植民地))以外は、フランスが広範囲に押さえている。

そして、マリ、ブルキナファソ、ニジェールと内陸に進出して行ったわけである。マリを侵略したことで、アルジェリアとつながり、アフリカ北西部を地中海側と大西洋側の両面から押さえることとなったわけである。

 

次に、セネガルについて。

まず、ウィーン会議(1814年[US038]〜1815年[US039])を復習して欲しい。 

synme.hatenablog.com

ウィーン会議(1814年[US038]〜1815年[US039])は遅々として進まなかったが、Napoléonのエルバ島脱出と復位の報に接して妥協が成立した。オーストリアはドイツ連邦の盟主となりロンバルド=ヴェネト王国の国王となった。ロシアは、フィンランド大公国とポーランド立憲王国を承認させ、オスマン帝国からベッサラビアを獲得。プロイセンはラインラントを含め東西に領土を拡大。イギリスは、フランスからマルタ島を、オランダからセイロン島とケープ植民地を獲得、何より制海権を確立させた。スウェーデンはデンマークからノルウェーを獲得してスウェーデン=ノルウェー連合王国となった。フランス復古王政はセネガルを植民地として承認された。その他、ネーデルラント王国が成立、サルデーニャ王国が領土拡大、ナポリ王国復古、スペイン王国復古、スイス連邦は永世中立国として承認された。 

実は、「セネガルを植民地として承認された」と書いたのは正しくない。具体的には、フランス復古王政はサン=ルイ島とゴレ島という2つの島を獲得したのだ。

サン=ルイ島は川の中州だったので、そのままサン=ルイ (セネガル) - Wikipediaという都市に発展し、フランス領西アフリカの最初の首都になった。

ゴレ島(ゴレ島 - Wikipedia)のそばにアフリカ最西端に位置する半島があり、そこがダカール - Wikipediaという街に発展した。この都市がフランス領西アフリカの次の首都になった。

ともかく、ウィーン会議を端緒としてフランスはセネガルに拠点を有しており、当然の様にセネガルを拠点としてフランスが上記諸国を含む広大な地域を侵略して行くこととなったわけである。

ちなみに、昔、パリ・ダカール間を走るダカール・ラリー - Wikipediaというレースがあったが、そこにもセネガルの重要性が表れていたわけである。 

 

文責:鵄士縦七