Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの地政学51:1911.7.13第3次日英同盟

第1期グレートゲーム(The Great Game)終結後のニッポンの地政学を学ぶ。今回は第3次日英同盟の締結。最初に、クールにザックリまとめる。  

1911年[US135]7月13日ニッポンはイギリスと日英同盟を更新・締結した(第3次日英同盟)。ひきつづきイギリスとの軍事同盟を外交の基軸としたことになる。

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ニッポンとイギリスは第2次日英同盟(1905年[US129]8月12日)において第1次日英同盟(1902年[US126]1月30日)の期限を10年に延長しており、その期限到来に伴って更新されたものである。

第1次日英同盟締結時とは状況が変わっている点に注目しておきたい。

まず、三国協商が成立しているので、第3次日英同盟(1911年[US135]7月13日)の更新・締結は事実上ドイツ第二帝国を仮想敵国とする軍事同盟という意味合いを帯びることとなった。

Synmeの理解では、その様な規定が盛り込まれたわけではなく(そんな規定を盛り込んだら国際法上は宣戦布告にあたると思われるので、盛り込まないのは当たり前だが)、あくまで事実上ということである。実際、ニッポンは日英同盟を根拠として第一次世界大戦に参戦していくことになる。

次に、自動参戦規定(ニッポンないしイギリスの一方が他国と交戦した場合には、他方はこれを助けるため参戦することを義務付ける規定)は維持しつつも、アメリカを交戦相手国の対象外とした様だ。

ロシアを仮想敵国としている間はニッポン、イギリス、アメリカの極東における利害は大筋で一致していたけれど、ロシアが極東から駆逐された日露戦争直後の状況では、イギリスが抱く「ニッポンが宣戦布告することでアメリカとの戦争に巻き込まれる懸念」や、アメリカが抱く「仮に極東でニッポンと戦争になった場合にイギリスとも対立してしまう懸念」等がクローズアップされている時代の変化を反映している、とSynmeは考える。

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文責:鵄士縦七