Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

【再掲】ドイツの地政学12:1873.10.22三帝同盟

【再掲にあたっての備忘録】連戦連勝してドイツ第二帝国を創り上げたと思ったら、途端に協調外交に転ずるOtto von Bismarckの天才的外交が続く。ドイツ第二帝国としては「帝国の誕生間もないので内政に努めたい」という明確な目的を感じる同盟締結であるけれど、オーストリアとロシアはどうか?

オーストリア中枢のドイツ人としては、プロイセン王国にドイツ連邦を追い出され、仕方なくマジャール人と組んで二重帝国を形成したものの帝国内の民族主義への対処に忙しく、「なんでホーエンツォレルン家と…」と複雑な気持ちを抱きながらも対フランス、対イタリアでありがたい同盟であったろう。

ロシアとしては、基本的にドイツ人との同盟はありがたいということと、どうせあらゆる同盟を裏切るのがロシアのロシアたる所以なので、「まあドイツ帝国と組んでおこう」という程度の話だったのではないか。もちろん、黒海艦隊再建の途上なので、西の国境が安定するのは実利もあっただろう。

 

ドイツ帝国の地政学、ドイツ統一後は「戦わない」ための同盟外交がOtto von Bismarckによって展開される。今回は三帝同盟を学ぶ。事実だけ記載する。

1873年[US097]10月22日ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国は三帝同盟を締結した。

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1873年[US097]10月22日、Otto von Bismarckが提唱し、フランス第三共和政の包囲・孤立を目的として、ドイツ皇帝Wilhelm I、オーストリア皇帝Franz Joseph I、ロシア皇帝Александр II(Aleksandr II)アレクサンドル2世の間で三帝同盟が締結された。

ロシア中心の汎スラヴ主義とオーストリア中心の汎ゲルマン主義の対立を内包しているにもかかわらず同盟が成立させたのはOtto von Bismarckの手腕であるとSynmeは思う。

Synmeは不勉強で知らなかったが、汎ゲルマン主義を唱えたのはドイツ統一からKick-outされたオーストリア=ハンガリー帝国だったということ。そして、汎ゲルマン主義はバルカン半島におけるゲルマン民族の勢力拡大を主張するものであったということである。

オーストリア=ハンガリー帝国においては、支配民族であるドイツ人を遥かに上回るスラヴ系住民がいて、汎スラヴ主義に対抗する政治主張が必要だったようだ。

 

文責:鵄士縦七