ドイツの地政学29:1911.11.4新カメルーンの獲得(フェス条約)
ドイツの地政学を学ぶ。今回は新カメルーンの獲得。最初に、クールにザックリまとめる。
1911年[US135]11月4日ドイツ第二帝国はフランス第三共和政とフェス条約を締結し、新カメルーン(フランス領コンゴの一部)を獲得した。
ここに至る経緯は、第2次モロッコ事件(1911年[US135]7月1日)で既に学んだ通りである。
ふとSynmeが思ったこととしては、当時のドイツ第二帝国の内側から世界を見ると、結局は「領土(植民地)の拡大」につながっているので、第2次モロッコ事件も「無理が通った」すなわち強圧的外交が成功を収めたと認識されていた可能性はある。
とはいえ、モロッコとカメルーンでは戦略的重要性に雲泥の差があるのは事実で、国内からは新カメルーン(New Cameroon - Wikipedia)獲得は意義が薄いと言う批判はあった様だ。
ともかく、改めて事実を確認しておこう。
フランス第三共和政はベルリン会議(1884年[US108]11月15日〜1885年[US109]2月26日)によってフランス領コンゴを獲得し、そこを足掛かりに1910年[US134]1月15日フランス領赤道アフリカを成立させていた。
一方のドイツ第二帝国は、1884年[US108]7月5日にドイツ領カメルーンを成立させていた。1911年[US135]11月4日の新カメルーン獲得はドイツ領カメルーンを東と南に拡大させることとなった。
文責:鵄士縦七