【再掲】イギリスの地政学08:1882.6.11ウラービー革命/イギリスによるエジプトの保護国化
【再掲にあたっての備忘録】1875年[US099]スエズ運河株式を取得、1878年[US102]7月13日キプロス島を租借、そして1882年[US106]6月11日エジプトを保護国化。イギリスのやることは的確かつ効率的である。
【再掲】鉄道と運河の地政学03:1875イギリスがスエズ運河会社株式を取得 - Synmeの地政学がくしゅう帳
イギリスの地政学18:18780713ベルリン条約/キプロス島の租借 - Synmeの地政学がくしゅう帳
さて、アフリカ分割に関連するイギリスの地政学を学んで行く。今回はイギリスによるエジプトの保護国化。最初に、クールにザックリまとめる。
1882年[US106]6月11日イギリスはウラービー革命の鎮圧に乗じてエジプトを保護国化した。
1881年[US105]アフマド・ウラービー陸軍大佐が率いるエジプト人が新政権を樹立した。
当時、エジプトはイギリス、フランス及びその傀儡であるムハンマド・アリー朝のヘディーヴが統治していたが、エジプト人がこれに対して蜂起したわけである(ウラービー革命)。
しかし、イギリスとフランスはヘディーヴが政府の代表であるという立場をとり、かつ、イギリスは1882年[US106]6月11日にアレクサンドリアで起きた暴動をきっかけに介入を強めた。イギリスとしてはエジプトに対する借款が破棄されないようにすることとスエズ運河の支配を継続することが肝要であった。
イギリス陸軍はエジプト陸軍に勝利し、ウラービーをスリランカに追放した。そして、イヴリン・ベアリングが、事実上のエジプト総督として1883年[US107]から1907年[US131]までの24年間エジプトを統治した。
synme.hatenablog.com1875年[US099]エジプトからスエズ運河会社株式の44%を400万ポンドで取得し、イギリスはスエズ運河会社の筆頭株主になった。
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1880年[US104]南アフリカにおいてイギリスがトランスヴァール共和国を併合しようとするも敗北。1881年[US105]プレトリア協定を締結し、イギリスは改めてトランスヴァール共和国の独立を承認せざるを得なかった。
文責:鵄士縦七