Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

鉄道と運河の地政学08:1903バグダード鉄道着工

 ドイツの3B政策について簡単に学んでおく。今回は鉄道と運河の地政学として、バグダード鉄道の着工について学ぶ。最初にクールにザックリ学ぶ。

1903年[US127]ドイツ第二帝国はペルシア湾へのアクセスを得るため、イスタンブールからバグダードを経由しクウェートへ至るバグダード鉄道の敷設に着工した。

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イスタンブールの旧名はビザンティウムである。

バグダードは現在のイラクの首都である。

ベルリン(Berlin)、ビザンティウム(Byzantium)、バグダード(Baghdad)の3つの頭文字を合わせてドイツ第二帝国の3B政策と言うのは、みなさんご存知の通りと思う。

この3B政策、具体的にはバグダード鉄道の目的はなんだったのか?恥ずかしながら、Synmeは曖昧なまま高校の受験勉強も大学の受験勉強も通過して来ていたようだ。

ずばり、ドイツ第二帝国最後の皇帝Wilhelm IIの狙いは、「ペルシア湾への陸路」の獲得だったのだ。

そう言えば、「バグダードまで鉄道を走らせてどうするんだろう?」位は学生時代にも考えたことはあったけれど、改めて世界地図を見れば、イラクの先にはクウェートがあり、クウェートにはペルシア湾にアクセスする港を建設することができるのだ。

つまり(Synmeだけかもしれないけれど)バグダード鉄道という名前が先行して見落としがちだが、Wilhelm IIはイスタンブール→コンヤ→バグダード→バスラ→クウェート間に鉄道を建設する計画だったのだ。

この鉄道が完成すれば、後はボスポラス海峡に橋をかければベルリンからペルシア湾までの鉄道輸送路が完成するのだ。

Wilhelm IIの胸中は、「喜望峰周りはオワコンだ。スエズ運河はイギリスが牛耳っているから、常に通行できるわけじゃない。じゃあ、直接ペルシア湾に行こう。しかもボズポラスさえ橋を架ければ、陸路で安定的な輸送路になるじゃん!」的なことだったかもしれない。

結局、ドイツ第二帝国の野望が実現することはなかったが、Wilhelm IIの考え方は非常に単純であり、一定の理もある。Synmeが思うに実現可能性の精査は必要だったかもしれないけれど、なにせ当時飛ぶ鳥を落とす勢いのドイツである。何でもアリ、だったのだろうというのは想像に難くない。

それにしても、これはイギリスが怒るはずだよね。スエズ運河ルートの価値が半減するし、イギリスの生命線イギリス領インド帝国はペルシア湾からは目と鼻の先だから… 皇帝Wilhelm IIは、そういう所には気付かなかったのかもしれない。

不勉強でザックリしすぎかもしれませんが、取り敢えずバグダード鉄道はこれ位で。以下のWikipediaを参照しました。

 

文責:鵄士縦七