Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

アメリカの地政学14:1945-1991冷戦Vol.5

ひきつづき、ゆげひろのぶ氏の3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編に【冷戦第二波】を学ぶ。最初に、【冷静第二波】の対立が緩和していく過程についてクールにザックリまとめる。 

キューバ危機を受けて、部分的核実験禁止条約が締結されるなどした。J.F.Kennedyが暗殺され、Johsonは(Eisenhowerが始め、J.F.Kennedyが継続した)ベトナム戦争を拡大したが行き詰まる。Nixonが就任すると、ソ連、中国との緊張緩和を進め、SALT I 妥結(1972年[US196])、ベトナム戦争停戦(1973年[US197])を達成した。 

前回までの冷戦:

第二次世界大戦中から燻っていた米ソの対立は、Trumanの原爆投下により決定的となった。Trumanの封じ込め政策・欧州復興計画やチェコスロバキア政変を端緒とするNATO設立により、欧州での対立が高まって行った。アメリカの予想より早いソ連の原爆保有と共産チャイナの成立によりアジアでの東西バランスが崩れた結果として、1950年[US174]朝鮮戦争が勃発した。

Truman不出馬・退任、Stalin死去。EisenhowerとKhrushchevにより、朝鮮戦争および第1次インドシナ戦争は休戦となり、1959年[US183]のKhrushchev訪米に至る。しかし、アメリカの数多くの軍事同盟締結、ワルシャワ条約機構設立など東西陣営の対立の構図は鮮明になっていった。ソ連ICBM発射実験および人工衛星打上げを成功させミサイル開発競争において優位に立った。

Eisenhower在任中のU-2撃墜事件(1960年[US184]5月1日)を機にアメリカとソ連の関係は悪化。J.F.Kennedyが就任するも、キューバ革命東ドイツからの人口流出を背景にJ.F.KennedyとKhrushchevはベルリンとキューバで対立を深めた。ベルリンの壁建設でベルリン危機は回避されたが、キューバ危機(1962年[US186]10月16-28日)勃発により米ソの対立は冷戦第二にして最悪のピークに達した。 

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【冷静第二波】の対立が緩和していく過程に起こった出来事は以下の通り。アメリカはベトナム戦争の出口が見えず、ソ連プラハの春で共産陣営の結束維持に頭を悩ませ、チャイナはソ連と対立と三者三様の課題を抱えていたところをNixon外交がデタントにつなげた。

1955年10月26日 ベトナム共和国成立。アメリカは軍事支援を開始

1960年11月8日 J.F.Kennedy大統領が当選。

1960年12月20日 NLF(南ベトナム民族解放戦線)結成

1961年1月20日 J.F.Kennedy大統領就任。

1961年5月 アメリカは特殊作戦部隊600人(軍事顧問団)の派遣と軍事物資の支援増強を決定。クラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤を使用する攻撃開始

1962年10月16日〜28日【冷戦第二波TOP】キューバ危機。核戦争は回避され、アメリカとソ連の間で以下が取り決められた。

  • ソ連側はキューバのミサイル基地を撤去
  • アメリカ側もトルコのミサイル基地を撤去
  • アメリカは絶対にキューバに軍事侵攻しない
  • ホットライン開通

キューバ危機について、高橋洋一氏の世界のニュースがわかる! 図解地政学入門p.219から以下引用する。

何より「当事者」たる米ソが、身を以て核戦争の危険を知ることとなり、両国の対立関係に微妙な変化をもたらした。

いざというときに領国首脳が直接対話できる「ホットライン」の通信回線が設置されるとともに、両国は、いずれ核開発に歯止めが必要であるという共通見解に至ったのである。

1963年8月5日 アメリカ、イギリス及びソ連が部分的核実験禁止条約(Partial Test Ban Treaty)を締結。正式名を大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約(Treaty Banning Nuclear Weapon Test in the Atmosphere, in outer Space and under Water) と言い、ゆげ氏によると「地下実験はOKだけど、それ以外の空中や水中ではダメ」という内容。核開発が済んでいなかったフランスとチャイナは参加しなかった(3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編p.176-7参照)。

1963年11月22日 J.F.Kennedy暗殺、Johnsonが大統領に昇格。

1964年8月7日 アメリカ上下両院でトンキン湾決議承認。Johnson大統領は実質的な戦時大権を獲得。

1964年10月14日 Khrushchev辞任。Brezhnev書記長が就任。

1964年11月3日 Johnson大統領が再選 

1965年2月7日北爆開始。3月8日アメリカ海兵隊3,500人がダナンに上陸。7月28日アメリカ陸軍の派遣発表

1968年1月5日 チェコスロバキアの変革運動(プラハの春)始まる 

1968年1月29日 ベトナム民主共和国軍と南ベトナム解放民族戦線によるベトナム共和国軍とアメリカ軍に対して大規模な一斉攻撃を実施(テト攻勢)。ゆげ氏によると、アメリカ大統領選挙年において反戦運動を盛り上げ、ベトナム撤退を掲げる候補が有利になることを狙っての作戦だった(3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編p.186参照)。

1968年3月31日 Johnson大統領が大統領選不出馬を表明。

1968年8月20日 ソ連率いるワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキア国境を突破し侵攻し、全土を占領下に置いた。プラハの春に対するソ連の軍事介入。Brezhnev Doctrine(制限主権論)について、3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編p.365-6から引用する。

社会主義陣営全体の利益は、各国の利益に優先する。ゆえにチェコ=スロヴァキア政府が国を挙げて自由化・民主化を目指しても、我がソ連軍が粉砕する。社会主義陣営の国家は、完全な主権国家ではない。その主権は社会主義全体のために制限されるべきだ。

1968年11月5日 Nixon大統領当選

1968年12月21日 アメリカのアポロ8号が人類初となる有人月周回飛行に成功。

1969年1月20日 Nixon大統領就任

1969年3月2日,15日 アムール川黒竜江)の支流ウスリー川の中州であるダマンスキー島珍宝島)の領有権を巡ってソ連とチャイナの間に大規模な軍事衝突が発生(珍宝島事件、ダマンスキー島事件)。同年8月にも新疆ウイグル自治区で軍事衝突が起こり、中ソの全面戦争や核戦争にエスカレートする重大な危機に発展した。

1969年7月20日 アメリカのアポロ11号が人類初となる月面着陸に成功。J.F.Kennedyが本格始動させたアポロ計画がJohnson、Nixonと引き継がれた。スプートニク・ショックからわずか12年での達成だった。

1969年11月19日 アメリカとソ連ヘルシンキで第一次戦略兵器制限交渉(Strategic Arms Limitation Talks 1, SALT I)開始(〜1972年5月26日)

1971年7月 Henry Kissinger国家安全保障問題担当大統領補佐官が秘密裏にチャイナ訪問

1971年10月25日 アルバニア決議(第26回国際連合総会2758号決議)の採択。当時中華人民共和国の友好国であったアルバニア人民共和国が提案。中華民国(台湾)は国連安保理常任理事国の座を失い、チャイナが国連安保理常任理事国と見なされた。本決議に抗議する形で、中華民国国連を脱退した。

1972年2月21日 Nixon訪中。アメリカとチャイナの関係を対立から和解へと転換。

1972年5月26日 NixonとBrezhnevがモスクワで第一次戦略兵器制限条約(SALT I)に調印。当該条約は、アメリカとソ連保有する弾道ミサイルの数量を追認し、追加を行わない軍備管理を規定したのみで、核弾頭のMIRV化、その数量などに対する制限はなく、ミサイル数もソ連の方が多いものであった。両国のミサイル保有制限数は以下の通り。

なお、第一次戦略兵器制限条約(SALT I)と同時にアメリカとソ連は弾道弾迎撃ミサイル制限条約(Anti-Ballistic Missile Treaty)に調印。両国ともABM配備基地を首都とミサイル基地一つの2箇所に制限する内容。

1972年6月17日 ウォーターゲート事件が発覚。民主党選挙対策本部があるウォータゲートビルで5人の男が盗聴器を仕掛けている最中にガードマンに捕まった(3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編p.204)。

1972年11月7日 Nixon大統領再選。

1973年1月27日【冷戦第二波BOTTOM】パリ和平協定調印。

1973年1月29日Nixon大統領がベトナム戦争終結宣言。3月29日アメリカ軍の撤退完了、ただしアメリカ軍の「軍事顧問団」は規模を縮小し残留、軍事物資の供給も継続

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冷戦第二波に関与したのは、Eisenhower、J.F.Kennedy、Johson、Nixonの4人の大統領だ。

  • Dwight David Eisenhower第34代大統領(1953年[US177]1月20日〜1961年[US185]1月20日)
  • John Fitzgerald Kennedy第35代大統領(1961年[US185]1月20日〜1963年[US187]11月22日)
  • Lyndon Baines Johnson第36代大統領(1963年[US187]11月22日〜1969年[US193]1月20日)
  • Richard Milhous Nixon第37代大統領(1969年[US193]1月20日〜1974年[US198]8月9日)

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冷戦第二波に関与したソ連の書記長は以下の通り。

  • Nikita Sergeyevich Khrushchev第一書記(1953年[US177]3月14日筆頭書記、9月7日第一書記〜1964年[US188]10月14日)
  • Leonid Il'ich Brezhnev書記長(1964年[US]10月14日〜1982年[US]11月10日) 

 

文責:鵄士縦七 

 

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