Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

アメリカの地政学13:1945-1991冷戦Vol.4

続いて、ゆげひろのぶ氏の3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編に【冷戦第二波】を学ぶ。最初に、【冷静第二波】の緊張が高まっていく過程についてクールにザックリまとめる。

Eisenhower在任中のU-2撃墜事件(1960年[US184]5月1日)を機にアメリカとソ連の関係は悪化。J.F.Kennedyが就任するも、キューバ革命東ドイツからの人口流出を背景にJ.F.KennedyとKhrushchevはベルリンとキューバで対立を深めた。ベルリンの壁建設でベルリン危機は回避されたが、キューバ危機(1962年[US186]10月16-28日)勃発により米ソの対立は冷戦第二にして最悪のピークに達した。 

前回までの冷戦:

第二次世界大戦中から燻っていた米ソの対立は、Trumanの原爆投下により決定的となった。Trumanの封じ込め政策・欧州復興計画やチェコスロバキア政変を端緒とするNATO設立により、欧州での対立が高まって行った。アメリカの予想より早いソ連の原爆保有と共産チャイナの成立によりアジアでの東西バランスが崩れた結果として、1950年[US174]朝鮮戦争が勃発した。

Truman不出馬・退任、Stalin死去。EisenhowerとKhrushchevにより、朝鮮戦争および第1次インドシナ戦争は休戦となり、1959年[US183]のKhrushchev訪米に至る。しかし、アメリカの数多くの軍事同盟締結、ワルシャワ条約機構設立など東西陣営の対立の構図は鮮明になっていった。ソ連ICBM発射実験および人工衛星打上げを成功させミサイル開発競争において優位に立った。

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【冷静第二波】の緊張が高まっていく過程に起こった出来事は以下の通り。

1959年1月1日 キューバ革命成功。革命軍がハバナ占領を果たして革命政権が成立。

1959年[US183]9月25−27日【冷戦第一波BOTTOM】Khrushchev訪米。EisenhowerとKhrushchevとのキャンプデービット会談

1960年5月1日 ソ連を偵察飛行していたアメリカ合衆国偵察機ロッキードU-2が撃墜され、偵察の事実が発覚(U-2撃墜事件)。アメリカはミサイル開発でソ連に差を付けられたため、高高度偵察飛行による徹底監視による安全保障の確保を図っていた。当該事件により、予定されていた米ソ首脳会談が中止された。

1960年11月8日 J.F.Kennedy当選。J.F.Kennedyは史上最年少で当選した(43歳)、初のアイルランドローマ・カトリック教徒の大統領だった。

1961年4月12日 ソ連がボストーク1号により人類初の有人宇宙飛行の成功を発表。ソ連は、ロケットすなわちミサイル(ICBM)を宇宙に上げて地表の狙った場所に正確に落とす技術があると証明したのだ。ちなみに、アメリカが有人宇宙飛行を成功させたのは約1ヶ月遅れの5月5日だった。

1961年1月3日 アメリカがキューバに対して国交断絶を通告。

1961年1月20日 J.F.Kennedy大統領就任。

1961年4月15日〜19日 アメリカCIAの支援の下で、在米亡命キューバ人部隊がキューバに侵攻してキューバ革命政権の打倒を試みたが失敗(ピッグス湾事件)。

1961年5月1日 キューバフィデル・カストロ首相、メーデーの演説でキューバ革命を「社会主義革命である」と宣言。キューバソ連への接近を強めていく。高橋洋一氏の世界のニュースがわかる! 図解地政学入門p.217から以下引用する。

すでに太平洋を掌握し、NATO結成に関わることなどによってソ連包囲網を形成していたはずのアメリカだったが、思わぬきっかけで、喉元に社会主義国家が誕生してしまったのだ。

1961年5月25日 J.F.Kennedy大統領が上下両院合同議会で演説し、アポロ計画(人類初の月への有人宇宙飛行計画)の支援を表明。1969年末までに実現するとの公約だった。

1961年6月3日〜4日 J.F.KennedyとKhrushchevがウィーンで首脳会談(ウィーン会談)。

1961年8月13日 東ドイツが東西ベルリン間の通行を全て遮断し、西ベルリンの周囲を全て有刺鉄線で隔離して、コンクリートの壁(ベルリンの壁)の建設を開始。ソ連東ドイツから西ドイツへの人口流出(亡命)を阻止する必要に迫られていた。しかし、Khrushchevは6月のウィーン会談で西ベルリンの空路遮断(東ドイツとの平和条約締結、連合軍の撤兵)を試みたが失敗していた。ベルリンの壁建設に対し、J.F.Kennedyはアメリカ軍の欧州増派で対抗。Khrushchevも東ドイツとの平和条約締結は断念した。

1962年8月 キューバソ連が秘密裏に軍事協力協定を締結。キューバはアメリカのキューバ侵攻に備えてソ連に最新兵器の供与を要求していた。ソ連は最新兵器の提供の代わりに秘密裏に核ミサイルをキューバ国内に配備するアナディル作戦を可決。キューバもこれを了承していた。再度、高橋氏の世界のニュースがわかる! 図解地政学入門p.217-8から少し長いが引用する。【括弧】内はSynme追記。

ソ連からすれば、アメリカを牽制するのにキューバほど有利な場所はない。キューバに軍事基地を配備すれば、中距離弾道ミサイル【intermediate-range ballistic missile, IRBM。米ソが直接に互いを目標とする大陸間弾道ミサイル(intercontinental ballistic missile, ICBM)には及ばないがヨーロッパからソ連またはその逆を目標とする射程をもつミサイル。】でアメリカ全土が射程距離に入る。

当時のアメリカとソ連の核軍備には大きな開きがあった【1962年9月にケネディ政権はソ連に対してICBMの数で2対1の割合でアメリカが勝っていることを明らかにした】。

そこで、もしソ連キューバにミサイル基地を建設すれば、アメリカとの差を一気に帳消しにできるどころか、形成を逆転する可能性すらある。アメリカにとっては、突然、目の前に銃を突きつけられるようなものだった。

1962年10月16日〜28日【冷戦第二波TOP】キューバ危機。アメリカの海上封鎖に対し、既にソ連を出発していたミサイルを乗せた艦隊が突破を図ったら?と、世界は核戦争の危機に直面した。実際、キューバ上空を偵察していたアメリカ機の撃墜や海上封鎖ラインに近づいたソ連線へのアメリカ軍の威嚇射撃など事態は緊迫していた。

ただし、ことの発端はキューバ革命政権の転覆を目論んだピッグス湾事件だったことは重要だとSynmeは考える。つまり、最初に仕掛けたのはアメリカのJ.F.Kennedyだったということだ。しかし、結果的にベルリン危機でもキューバ危機でも勝者はJ.F.Kennedyであったことも重要な事実でKhrushchevは約2年後に失脚して辞任に至る。

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冷戦第二波に関与したのは、Eisenhower、J.F.Kennedy、Johson、Nixonの4人の大統領だ。

  • Dwight David Eisenhower第34代大統領(1953年[US177]1月20日〜1961年[US185]1月20日)
  • John Fitzgerald Kennedy第35代大統領(1961年[US185]1月20日〜1963年[US187]11月22日)
  • Lyndon Baines Johnson第36代大統領(1963年[US187]11月22日〜1969年[US193]1月20日)
  • Richard Milhous Nixon第37代大統領(1969年[US193]1月20日〜1974年[US198]8月9日)

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冷戦第二波に関与したソ連の書記長は以下の通り。

  • Nikita Sergeyevich Khrushchev第一書記(1953年[US177]3月14日筆頭書記、9月7日第一書記〜1964年[US188]10月14日)
  • Leonid Il'ich Brezhnev書記長(1964年[US]10月14日〜1982年[US]11月10日) 

 

文責:鵄士縦七 

 

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