ニッポンの開国13:1854ロシアのプチャーチン再来航(黒船4隻)
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回はロシアのプチャーチン再来航。ペリー再来航の前でありロシアとニッポンの間の条約締結交渉は漸進にとどまる。最初に事実だけ。
1854年[US078]1月ロシア海軍中将プチャーチンが、黒船4隻(ディアナ、ボストーク、オリバーツァ、メンシコフ)で長崎に再度来航したが、交渉はまとまらなかった。
クリミア戦争(ロシア・トルコ戦争、1853年[US077]3月28日〜1856年[US080]3月30日)は続いていたが、1854年[US078]1月3日プチャーチンが黒船4隻(ディアナ、ボストーク、オリバーツァ、メンシコフ)で再び長崎に来航し幕府全権と会談した。
交渉はまとまらなかったが、将来日本が他国と通商条約を締結した場合にはロシアにも同一の条件の待遇を与える事などで合意した。2月5日にプチャーチンは長崎を離れてマニラに向かった。
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1853年[US077]フランスとイギリスの支援を取り付けたオスマン帝国がロシアに宣戦布告して、クリミア戦争が勃発した。ロシアはフランス第二帝政、オスマン帝国、イギリス及びサルディーニャの同盟軍に敗北。1856年[US080]にパリ条約が締結され、1840年ロンドン条約の内容が再確認された。
文責:鵄士縦七