ニッポンの開国19:1858日蘭修好通商条約
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は日蘭修好通商条約。最初に事実だけ。
1858年[US082]8月オランダのクルティウスと江戸幕府は日蘭修好通商条約を締結した。
1858年[US082]8月18日江戸幕府とオランダのクルティウスは日米修好通商条約(1858年[US082]7月29日)と同様の日蘭修好通商条約に調印した。日本は関税自主権を失い、外国人に治外法権を認めたため、以後長期にわたって苦しむことになった。
この条約によってシーボルトの処分は免責され、翌年シーボルトは再び来日した。
アメリカに遅れること僅か3週間。2番目はオランダとの締結である。鎖国時代からの付き合いだし、ニッポンにナイスにしてくれたから?などとSynmeは勝手な感想を抱いた。
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文責:鵄士縦七