Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

コリアの歴史02大韓帝国の成立②:1896.2.11-1897.2.20事実上ロシアが新たな宗主国に(露館播遷)

Synmeは日清戦争を学んで来た。関連して、コリアの歴史について大韓帝国の成立(1897年[US121]10月12日)までを3回だけ簡単に学んでおく。今回は露館播遷(ろかんはせん)を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

1,000年ぶりに独立した李氏朝鮮だったが、僅か2年弱で事実上ロシアの属国となった。高宗は1896年[US120]2月11日から1897年[US121]2月20日までロシア公使館から政務を執った(露館播遷)。

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露館播遷(ろかんはせん、1896年[US120]2月11日〜1897年[US121]2月20日)とは、李氏朝鮮の第26代王である高宗が、あろうことかロシア公使館に移り、1年以上にわたって李氏朝鮮の政務をロシア公使館から執り行ったことを言う。

これは国家としての自主性を放棄するのに等しい行為であり、李氏朝鮮の王権は失墜し、国際的な立場を失った。

露館播遷に至る経緯を簡単にまとめておく。

  1. 1895年[US119]4月17日   馬関条約締結
  2. 1895年[US119]4月23日   三国干渉
  3. 1895年[US119]7月6日   閔妃によるクーデター
  4. 1895年[US119]10月8日   乙未事件:閔妃が殺される
  5. 1896年[US120]2月11日   露館播遷:高宗がロシア大使館に退避 

1895年[US119]4月23日ニッポンが三国干渉(ロシア帝国・ドイツ第二帝国・フランス第三共和政)に屈すると、7月6日には閔妃とその一族がロシア軍の力を借りてクーデターを敢行し、政権を奪取した。

Synmeが思うに、李氏朝鮮は日清戦争の勝利から一転、三国干渉により「ニッポン弱し」と機を見て、すぐに「宗主国」をロシアに鞍替えしたという感じか。

10月8日には日本軍守備隊、領事館警察官、日本人壮士、朝鮮親衛隊、朝鮮訓練隊、朝鮮警務使が景福宮に突入して閔妃を斬殺した(乙未事件)。自分の后が暗殺された高宗は翌1896年[US120]2月11日ロシア領事館に退避した(露館播遷)。

朝鮮半島はなぜいつも地獄が繰り返されるのか 中国人ですら韓民族に関わりたくない本当の理由から引用する。 

   1896年2月、高宗が王世子とともに極秘裏に漢城のロシア公使館に移り、そこから1年あまりも国の政務を執るという、前代未聞の事態が起こる。いわゆる「露館播遷」である。かりにも一国の皇帝が他国の庇護のもと、その虎の威を借りて命令を下すのだから、まさに異常事態であり、世界史上の大珍事でもあった。

   その結果、ロシアの朝鮮に対する影響力は、非常に大きなものとなっていった。

実際、ロシアは金鉱採掘権、土地租借、森林伐採権などを次々と獲得していった。同時にアメリカやフランスも鉄道敷設権などを獲得していった。

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文責:鵄士縦七