ニッポンの地政学08:1875琉球藩に対して清との絶交命令
ニッポンの地政学、今回は琉球藩に対する清との絶交命令を学ぶ。最初に事実だけ。
台湾出兵の結果として清が琉球の日本帰属を認めたので、1875年[US099]7月に明治ニッポンは琉球藩に対して清との絶交を命じた。しかし、琉球藩は当該命令の撤回を求めた。
沖縄県の歴史 - Wikipediaから引用する。
1875年(明治8年)5月13日、松田道之、琉球へ出張を命じられる。29日にその使命につき具体的指令が下るが、その中で、冊封の廃止が命じられていた。
1875年7月10日、松田道之那覇着、同日、首里城内で三司官に政府よりの書簡を交付。琉球藩は清国との絶交命令に動揺し、以後、撤回するよう請願を繰り返す。
要するに、台湾出兵によって結果オーライな感じで清からの承認を得ることに成功したのだが、肝心の琉球藩の思惑が別のところにあった訳である。琉球王国の帰属問題はまだ続く。
---
文責:鵄士縦七