Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの地政学09:1875江華島事件/1876日朝修好条規

ニッポンの地政学を学ぶ。第1期グレートゲーム(The Great Game)終結までを学ぶために、国際社会に復帰したニッポンの地政学を学ぶ必要があるためだ。今回は江華島事件と日朝修好条規の締結を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

1875年[US099]ニッポンの軍艦雲揚と李氏朝鮮江華島および永宗島の砲台とが交戦。1876年[US100]日朝修好条規が署名され、李氏朝鮮が独立国であること、釜山・元山・仁川を開港すること、日本の領事裁判権などが定められた。 

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1875年[US099]9月20日〜22日ニッポンは李氏朝鮮武力衝突した。具体的には、ニッポンの軍艦雲揚と李氏朝鮮江華島および永宗島の砲台とが交戦した。

1876年[US100]2月26日日朝修好条規が署名され、効力発生した。李氏朝鮮が「自主の国」=独立国であること、釜山・元山・仁川を開港すること、日本の領事裁判権などが定められた。

日朝修好条規の締結後、李氏朝鮮は類似の条約をアメリカ、イギリス、ドイツ、ロシア、フランスと締結した様である。その意味ではこの条約が李氏朝鮮の開国の契機であったことは間違いないようである。

いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編から引用する。

1875年5月、日本海軍軍艦雲揚は釜山に入港・演習を行い、9月に漢江河口の江華島沖に至り朝鮮に砲撃されて応戦し、上陸を敢行。木戸は全権大使を望んだが病気で果たせず、黒田清隆を全権大使とし、1876年2月に日朝修好条規(江華条約)を締結。内容は朝鮮の開国、釜山・元山・仁川の開港、日本の領事裁判権などで、日本は朝鮮に不平等条約をおしつけた。

年表で読む明解!日本近現代史から引用する。

 この条約は、第一条で「朝鮮は自主独立の国であり、日本と平等な権利を有する」ということを謳っている。つまり、港を開港する云々は、そのことを前提にした上で定められているのだから、「不平等条約とは言えまい。」

 さらに言うならば、朝鮮の独立を認めたという点は、当時としては画期的であった。というのも、当時、朝鮮は「清国の属国」と捉えられていたからである。

 (中略)

 日朝修好条規は、朝鮮が初めて自分で結んだ国際条約だった。 事実、それに続くようにして、イギリスやドイツも、朝鮮と条約を結んだのである。

 

文責:鵄士縦七